2018年4月8日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 郷ひろみは15歳からアイドルとして活躍している。歌手や役者など、幅広いフィールドで活躍中。
- 2017年現在、102枚のシングルを発表。同年末の『紅白歌合戦』(NHK)にも出場する(30回目)。
- 2012年に一般女性と再婚し、双子の男の子をもうけた。過去に2人の女性と結婚し、2人の娘もいる。
- 郷ひろみは、1日に最低でも4回は歯磨きをする。また、右利きな彼だが、左手で歯を磨くらしい。
- 芸名・郷ひろみは、ジャニー喜多川が「レッツゴーひろみ、ゴーゴーひろみ」から考えたもの。
郷ひろみの生い立ち
郷ひろみは1955年10月18日生まれで、現在の年齢は69歳。福岡県出身である。[出典1]
本名は原武裕美(はらたけ ひろみ)。[出典1]
▼郷ひろみ(原武裕美)は福岡出身
父は国鉄マン
郷ひろみの父・原武英夫氏は、旧・国鉄(現・JR)に勤務していた。1982年には一日駅長を務めた息子とツーショットを撮るなど、息子の芸能活動を見守る父だった。[出典2][出典3]
そんな父・英夫氏は2015年1月、85歳で亡くなった。すると郷は本名でコメントを発表。「原武裕美として見送ることが親孝行」と考えたのだという。[出典2][出典3]
厳しい母
郷ひろみの母は、息子を厳しく育てた。[出典4]
たとえば、オーディションに行きたくない郷が母に弱音を吐くと、母は「最後までやり通すのが九州の男」と、厳しくアドバイスしたそうだ。[出典4]
▼母は厳しかった
美少年のイメージ
郷ひろみのイメージは、「美少年」であった。男性にも女性にも見える中性的なルックスも、彼の魅力だったらしい。[出典5]
また、郷は1970年代を代表するアイドルの「新御三家」のひとりだが、そのひとり野口五郎も郷のことを
ひろみは天才的な美少年[出典6]
と語っている。[出典6]
▼野口五郎(写真)も認めた美少年
https://twitter.com/Noguchi_Goro/status/881067583201460224
堀越高校・芸能活動コースの一期生
郷ひろみは、堀越高校にある「芸能活動コース(現・トレイトコース)」の一期生である。[出典7]
なお、同じく芸能活動コースの一期生には野口五郎や坂口良子がいる。[出典7]
郷ひろみのアイドル活動
郷ひろみは1971年にジャニーズ事務所に所属。きっかけは、オーディションに落ちた郷をジャニー喜多川がスカウトしたことだ。[出典8][出典9]
15分で決まった大河出演
郷ひろみは1972年の大河ドラマ『新・平家物語』(NHK)で芸能界デビューを果たした。[出典1]
この大河出演は、ジャニー喜多川が郷をNHKに連れて行ったとき、15分の打ち合わせで決まったのだとか。[出典9]
1972年1月、NHK大河ドラマ『新・平家物語』で芸能界デビュー。同年8月にシングル『男の子女の子』をリリースし大ヒットを記録。日本レコード大賞新人賞を獲得。その甘いルックスと兼ね備えたアイドル性で野口五郎・西条秀樹とともに「新・御三家」と呼ばれ一世を風靡する。『よろしく哀愁』『お嫁サンバ』『How Many いい顔』など歌手として次々とヒット曲をリリースする傍ら、ドラマ・CM・映画など多方面で活躍し、幅広い層から人気を博す。また、日本テレビ『カックラキン大放送』ではバラエティー番組に初のレギュラー出演。90年代からは、『僕がどんなに君を好きか、君は知らない』『言えないよ』『逢いたくてしかたない』のバラード三部作やコンサートツアーなど、本格派の歌手としての実力を発揮。『雪国まいたけ』や『高洲クリニック』のCMも話題を呼ぶ。1999年にリリースされたリッキー・マーティン「Livin'La VidaLoca」のカバー『GOLDFINGER'99』が大流行し、日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞。2002年から3年間のニューヨークでの充電を経て2005年に活動再開。CDリリース、コンサート活動など精力的に行う。
出典:タレントデータバンク