2019年6月27日更新
圧倒的存在感
「瞬間的な判断力」と「勝負強さ」が強みな木村沙織。巧みなサーブコントロールや敵エースとの白熱した打ち合いなど、大一番の舞台ほど存在感を発揮する選手だった。[出典10]
東レアローズに入団
高校を卒業後の2005年、木村沙織は東レアローズに入団。主力選手としてチームを勝利に導いた。[出典1]
また、木村は東レアローズの監督・菅野幸一郎氏を高く評価しており
菅野さんのもとでバレーを本気でできて楽しかったです[出典11]
チームの主将になるまで
2013年以降、木村沙織は女子バレー日本代表チームの主将として活躍している。
しかし実は、何度も監督の頼みを断っていたという。高校生の頃から日本代表選手を束ねる主将たちを見ていた木村沙織は、
私にはこうはできないな。前に立つ性格でもないし[出典12]
と感じていたそうだ。
おまけに当時は引退も考えていたようだが、後輩のためを思い、木村は主将になる道を選んだのだとか。[出典12]
日本を4大会連続12度目の五輪出場へ導く
女子バレー日本代表は、2016年5月に開催された「バレーボール女子世界最終予選兼アジア予選」でリオデジャネイロ五輪への出場を決めた。[出典13]
木村は同大会の韓国戦で、ブロックの際に負傷した右手小指の怪我を抱えながらも、気迫のプレーと声でチームをけん引した。[出典13][出典14]
受賞歴
木村沙織の受賞歴は以下の通り。
- JOCスポーツ賞・年度賞 特別功労賞
- JOC オリンピック特別賞
- ワールドグランプリ ベストスコアラー賞
- アジア選手権 ベストサーバー賞(2回)
- トリノ国際大会 最高殊勲選手賞、ベストサーバー賞
- Vリーグ 最高殊勲選手賞、敢闘賞、ベスト6賞(5回)、最優秀新人賞、日本記録賞
- 黒鷲旗 黒鷲賞(2回)、ベスト6賞(3回)
- 東京都 都民スポーツ大賞
- 東京都あきる野市 市民栄誉賞
- 第66回日本スポーツ賞 競技団体別最優秀賞[出典1]
現役引退
2017年3月、木村沙織は現役引退を発表。[出典15]
記者会見で彼女は、引退理由について
プレーどうこうより、負けて前ほど悔しいという気持ちがなくなった[出典16]
と明かしている。[出典16]
思い出の試合は
また木村沙織は「もっとも印象的な試合」として、ロンドン五輪の準々決勝・中国戦をあげた。
監督の予想のもと、徹底した研究を重ね、チーム全員で一丸となって集中していた。それでも点数的には互角の試合で
あんなに1点の重みを感じたことはありませんでした[出典17]
と、その強い思い出を語っている。[出典17]
バレーボール界への復帰はありえない?
17歳で全日本代表に初招集。同年アジア選手権で代表デビューを果たす。レシーブに定評があり、セッターの素質も見出される中、アタッカーとしてアテネ五輪出場に大きく貢献し「スーパー女子高生」として一躍その名を広めた。東レアローズに入団すると、主力として活躍してチームは常勝集団に定着。全日本代表でも絶対的エースとして数々の国際大会で存在感を示し、ロンドン五輪銅メダル獲得の原動力となった。満を持して、世界最高峰リーグであるトルコに移籍し、2年間の挑戦の中でヨーロッパチャンピンズリーグ優勝も経験。リオ五輪では全日本チームのキャプテンとしてチームを牽引した。その後、1シーズン限りでの引退を表明しVリーグに挑み、2017年、現役を引退。現在は専業主婦の傍ら、マルチに活動。
出典:タレントデータバンク