挫折を経験した本田圭佑は、2年生になると左サイドからセンターへとポジションを変更し、ナンバー10を背負ってチームを牽引。
キャプテンを務めた3年時の高校選手権では、石川県勢として初となるベスト4に残り、星稜高校と本田圭佑の名を全国へと知らしめた。[出典9][出典10]
プロサッカー選手として
星稜時代に様々なJクラブから勧誘された本田圭佑は、2004年に名古屋グランパスエイトの特別指定選手となり、翌2005年にプロデビュー。
以降は、オランダのVVVフェンロやロシアのCSKAモスクワ、イタリアのACミランなどいった世界の名門で活躍している。[出典10][出典11][出典6]
▼ACミランの本田圭佑
なお、ポジションはミッドフィルダー(MF)とフォワード(FW)となっている。[出典1]
本田圭佑の移籍(ミラン→パチューカ)
メキシコへ
2014年からACミランに3年半所属した本田圭佑。[出典1][出典12]
数々のクラブから声がかかるなか、2017年7月にはメキシコ最古の強豪・CFパチューカへ移籍した。[出典11]
▼パチューカ移籍の理由を語る
https://twitter.com/kskgroup2017/status/887437310714716160
本田圭佑といえば、通算試合出場90回、36得点を誇る日本代表の主軸。
ワールドカップ(W杯)においては2010年の南アフリカ大会と2014年のブラジル大会に出場し、日本選手最多である通算3ゴールを達成した。
サッカーレベルの高いヨーロッパで活躍する日本人有力選手が移籍先としてメキシコのクラブを選ぶのは、異例のことだった。[出典13]
▼パチューカのユニフォームを受け取る本田圭佑
本田圭佑のゴールと評価
デビュー戦ゴール!
2017年8月、パチューカ移籍後初試合となるメキシコリーグの開幕ステージ第6節、ベラクルス戦にて途中出場した本田圭佑がゴールを決め、チームの勝利に貢献した。[出典14]
▼デビュー戦ゴールおめでとう!
https://twitter.com/ligabancomermx/status/900173122170740737
地元メディアは本田圭佑のゴールについて、
日本のプレーヤーはフィールドに登場すると美しいゴールを決め、改めてその価値を示した。彼はパチューカの新たなアイドルとしてふさわしい存在であることを証明している[出典14]
小学校2年からサッカーを始め、地元の摂津FCに入団。中学生時代からはガンバ大阪ジュニアユース所属。その後、星稜高校へ進学。3年生時には特別指定選手として名古屋グランパスエイトの練習に参加し、ナビスコカップなどの公式戦に出場。翌2005年に名古屋グランパスエイトに入団。開幕戦において先発出場しアシストを決め、2006年にはレギュラーに定着し、A代表にも飛び級で初招集された。2007年のオフシーズンに、オランダ1部リーグのVVVフェンローへ移籍。入団会見後、その日のうちに試合に出場。移籍第二戦ではフル出場し期待の高さをうかがわせた。オランダ2部リーグに降格した08-09シーズンも1部昇格の為のキープレイヤーとしてVVVフェンローでプレー。チームで主軸として活躍し、キャプテンを任され、2部優勝・MVP受賞そして1年での1部復帰を成し遂げた。日本代表チームにも不可欠な存在となった2010年に、さらなる飛躍を求めてロシアの強豪チームCSAKモスクアへ移籍。リーグ戦では開幕戦決勝ゴールを決め、ヨーロッパチャンピオンズリーグではロシア勢初のベスト8進出に自らのフリーキックにより導いた。南アフリカワールドカップでは2ゴール1アシストと日本代表ベスト16進出の原動力になり名実ともに日本サッカー界を背負うエースとしてヨーロッパのサッカーチームが最も注目している日本人サッカー選手。
出典:タレントデータバンク