2022年1月18日更新
着物を着て絵を描く人になりたい[出典41]
と書いたほど着物を着ることが好きだった幼少時代の杏。[出典41]
その頃から歴史好きの片鱗があったのかも?
父・渡辺謙の発病
何不自由ない幼少時代を送っていた杏だが、1989年、父・渡辺謙が”急性骨髄性白血病”を発症したことで状況は一変した。[出典21]
闘病のため、全ての仕事を降板した父・渡辺謙は、一度は仕事復帰したものの、1994年に急性骨髄性白血病が再発し、完治まで約6年の歳月を要することになる。[出典21]
母の借金発覚
父・渡辺謙の発病をきっかけに渡辺家は崩壊の道をたどることになる。[出典21]
高額な治療費がかさみ、母が宗教団体『釈尊会』の故・小野兼弘会長と出会った頃に父・渡辺謙の病気が完治したことにより、母はますます小野会長に心酔してしまったという。[出典21]
留まることのない母の信仰心…とうとう2001年末に母に多額の借金が発覚し、自宅が差し押さえられることになってしまう。
そして、2002年3月に父・渡辺謙と母が別居、同年夏に離婚調停を起こし、その後、2005年に離婚が成立した。[出典21][出典3]
また、父・渡辺謙が別居するために家を出ると借金返済は進まず、生活費もままならなくなってしまったという。[出典21]
そんな時、杏が
借金を返せない要因に私たちの学費がある。それなのにのうのうと学校に行っていたら失礼だ。[出典21]
と、通っていた高校を中退。[出典21]
兄・渡辺大も大学中退を考えていたが、杏が
男はやはり大学へ行って卒業するべきだ。[出典21]
と止めたという。[出典21]
そして、兄の代わりに自ら履歴書を持ち、事務所に売り込みをし、モデルとしてサンミュージックに所属することになった。[出典21]
モデル活動を始めた当初、杏は、そのギャラを前借りして生活費に充てたり、所属事務所には父親が渡辺謙であることをずっと隠していたという。[出典21]
モデル活動
高校を中退し、15歳からモデル活動を始めた杏は、女性ファッション雑誌『non-no』専属モデルとして活動していた。[出典36]’]
また、単身、海外に渡り、パリやニューヨークなどでコレクションにも出演した経験があるほど。[出典18]
また、杏は2018年のインタビューで、モデル活動について、
モデルの仕事でいえば、表現の世界ではありますが、ロジカルに構築する部分も多いんです。光や風の状況を瞬時に判断したり、クライアントの意図を形にするために何ができるかをスタッフ全員で考えたり。これまでの経験から得た知識を論理的に組み立てていくプロセスは、とてもやりがいを感じます。[出典18]
と真摯に答えている。[出典18]
女優活動
杏は、2007年のスペシャルドラマ『天国と地獄』(テレビ朝日系)で女優デビューを果たした。[出典23]
2016年11月5日放送の『王様のブランチ』(TBS系)のブックコーナーに出演した際、杏は、
出会いと別れのある仕事。自分のなかの知らない自分に出会うこともできる。スタッフ、キャストが現場ごとに変わるので出会いが多い。[出典22]
と話し、中でも杏が女優活動を始めたばかりの頃、お芝居の世界に簡単に踏み入れて良いのか迷っていた杏に対談で福山雅治が語った
自分の元に仕事が来たってことは、自分と仕事をしてみたいっていう想いを持った人がいるってことだよね。その仕事をくれた人の想いにまず応えるというのは、一つの答えなんじゃないかな。[出典22]
という言葉が胸に刺さった杏は、
1986年4月14日生まれ、東京都出身の女優・モデル。ドラマ、映画、雑誌など多方面で活躍している。主な出演作は、NHK『ごちそうさん』、日本テレビ『花咲舞が黙ってない』『妖怪人間ベム』、フジテレビ『デート~恋とはどんなものかしら~』『競争の番人』、TBS『世界遺産』、映画『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』『私たちの声「私の一週間」』、雑誌『25ans』など他多数。
出典:タレントデータバンク