2022年1月17日更新
1999年には「日テレジェニック」に選ばれ、その後、Fカップのスタイルで巨乳グラビアアイドルブームに乗り、ブレークした。[出典19]
https://twitter.com/musicjp_mti/status/794720928512884736
グラビアよりも女優志望
デビュー後はグラビア活動をメインとしていた酒井若菜だが、彼女自身はずっと女優を志していた。[出典19]
1998年には、学園ドラマにエキストラとして出演したこともある。現場が新鮮で楽しんでいた反面、
「私も、『スタート』と『カット』の間に声が出せるようになりたい。台詞が言いたい」[出典22]
と思いながら、セリフの無い日々を過ごしていた。
その当時、ADのM氏はエキストラの酒井若菜の名前を覚えていて、お互いに「次は出世して監督と女優として仕事をしましょう」と約束を交わしたそう。[出典22]
絶対M氏は憶えてないと思うけど、この時ね、M氏こう言ったんだよ。「10年後が楽しみだなぁ」って。そんでね、私達、握手したの。[出典22]
と、このときのやり取りについて酒井は自身のブログに綴っていた。[出典22]
約束した10年後には……。酒井若菜がM氏との縁をつづったブログ記事はこちら!
女優として活躍!
酒井若菜は2000年にドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)や映画『トワイライトシンドローム 卒業』、2001年に『早乙女タイフーン』(テレビ朝日系)に出演。
2002年にはドラマ『木更津キャッツアイ』(TBS系)でコメディエンヌっぷりを発揮。バンビ(櫻井翔)の彼女・モー子を演じ、女優としての名を広めた。
また、同作はシリーズ化しており、2004年の続編や2006年の完結作にもモー子役として出演した。
2004年には松尾スズキ監督映画『恋の門』に出演、コスプレを好むOLを演じた。[出典19]
休業とともに舞台も降板……
2005年、ブレークの真っ只中にいた酒井若菜は急遽、1年間の休業に入った。
それに際し、当時は連続ドラマのオファーを蹴って初の舞台への挑戦を決めたという舞台『キレイ 〜神様と待ち合わせした女〜2005』を*降板することにもなった。
2013年12月には、Twitterにて、
かつて舞台降板して、そこから人生変わってしまいました[出典23]
と、心情を明かしている。また、休業から復帰した後、自身の送った日々について、
罰は受けたつもりです 最初の数年は地獄のような日々でしたので無事芸能界に復帰したのが奇跡です[出典23]
とも触れている。しかしその一方で「休業したからこそ、小説やエッセイを出版するなど、良かったこともあった」と、自身の変化を前向きに捉えているところもあるようだ。[出典23]
休業の理由は?
なお、産経新聞社が運営する「ZAKZAK」では、
「この休業は男女間のもつれではと噂となりました。13年にブログで“罰は受けたつもり”と書き、さらに憶測を呼びましたが、実際には膠原病が原因だったわけです」[出典24]
という舞台関係者の証言を報道している。[出典24]
https://twitter.com/s_hakase/status/857559385916100608