どんな人?
- 高倉健は、日本映画界を代表する名優。映画出演本数は205本に登り、日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞を4度受賞している。
- 歌手としても活躍。『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』の主題歌「唐獅子牡丹」は今でも歌い継がれる名曲として知られている。
- ファンのみならず業界人からも愛され、人柄を表すエピソードが数多く語られるなか、2014年11月に他界した。
名優・高倉健が死去
2014年11月10日、日本映画界を代表する俳優・高倉健が悪性リンパ腫のため亡くなった。享年83。[出典1]
当記事では、彼の歩んできた軌跡や残した功績、エピソードなどをご紹介。
若い頃の高倉健
高倉健(本名・小田剛一)は、1931年2月16日生まれ。福岡県中間市の出身で、裕福な家庭に生まれ育った。
明治大学を卒業すると、東映に「ニューフェイス第2期生」として入社。
当時、高倉は新芸能プロダクションのマネージャーを志しており、喫茶店で面接を受けていたところ、偶然居合わせた東映関係者にスカウトされたのだそうだ。
こうして東映入りを果たした高倉は、1956に『電光空手打ち』に主演し、俳優デビューを飾った。[出典2][出典3]
高倉健出演映画
俳優デビュー後は、『日本侠客伝』シリーズや『網走番外地』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズなどといった仁侠映画に出演し、スターとして活躍した高倉健。
また、『山口組三代目 田岡一雄自伝』を原作とした『山口組』シリーズに出演すると、実在のヤクザに扮しヒーロー的な活劇を見せたため、
これは山口組の宣伝映画だ[出典5]
と批判されたこともあったそうだ。[出典5]
1976年の東映退社後は独立し、『君よ憤怒の河を渉れ』で新境地を開拓し、翌1977年公開の『八甲田山』や『幸福の黄色いハンカチ』で、第1回日本アカデミー賞における最優秀主演男優賞を獲得。[出典3]
以来、同賞で4回も主演男優賞に輝いているが、実は1999年に公開された大ヒット作『鉄道員(ぽっぽや)』でも受賞が検討されており、高倉が辞退しなければ記録は5回と伸びたところだった。[出典4]
ここからはそんな高倉健の出演映画をピックアップ!
『飢餓海峡』
1965年に公開された『飢餓海峡』は、水上勉の同名小説が原作。
高倉健が事件を追う味村時雄刑事役で出演している同映画は、『砂の器』と共に「日本映画の傑作」と並び称されている。[出典6][出典7]
▼映画『飢餓海峡』
『冬の華』
1978年公開の主演作『冬の華』では、池上季実子演じる殺した男の娘・松岡洋子を気にかけるヤクザ・加納秀次役を演じた。
出演当時18歳だった池上は撮影の様子を振り返り、次のように語っている。[出典8][出典9]
高倉健さんに対するスタッフの対応が全然違うんですね。だから「あ、すごい人なんだな」とわかるみたいな。[出典9]
もうピリピリでしたね。でも怖くてピリピリしているというよりは「尊敬しているからピリピリしている」といったような。[出典9]
▼映画『冬の華』
『野性の証明』で薬師丸ひろ子と
1978年公開の主演作『野性の証明』は、薬師丸ひろ子のデビュー作。高倉健は、当時13歳だった薬師丸の面倒をよく見たという。[出典10]
高倉さんは、右も左もわからない私を演技の面以外でも24時間支えてくださって。地方での撮影のときはいつもご飯を食べに連れて行ってくれました[出典10]