2024年1月16日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 吉田鋼太郎(よしだこうたろう)は、日本で活動する役者。東京都出身の1959年1月14日生まれ。ホリプロ所属。
- 高校時代にシェイクスピア喜劇を観劇し、役者を志す。上智大学在学中に初舞台を踏んだ。
- 大学中退後は「劇団四季」などを経て、1997年に自身で劇団「AUN」を旗揚げ。出演のほか演出も手がけた。
- 映像作品にも出演しており、2013年放送のドラマ『半沢直樹』(TBS)と2014年放送の朝ドラ『花子とアン』(NHK)で注目を集め、以降映像作品への出演が増えている。
- 私生活では、事実婚を含め過去4回の結婚歴があり、2人目の妻との間に子どもがいる。2016年に一般女性と4度目の結婚に至り、2021年に第一子が誕生した。
▼吉田鋼太郎
生い立ち
吉田鋼太郎は、東京都出身の1959年1月14日生まれ。現在年齢は65歳。身長174cm。ホリプロ所属。[出典1]
子供時代を大阪で過ごした
吉田鋼太郎は小学生の6年間を大阪で過ごしている。
そのため特技は「関西弁」であり、プライベートでは関西弁を話すこともあるという。[出典2]
また、幼い頃は宝塚歌劇団が大好きで、テレビにかじり付くように演目を観ていたそう。
1度母に宝塚の舞台へ連れて行ってもらった際は、興奮して飛び跳ねていたという。[出典3]
カトリック系の高校に通っていた
吉田鋼太郎は中学時代、背が高く女子からモテるタイプだったという。
また、ロックバンドを組んでおり、自分達でレコードも作っていたそう。[出典5]
しかし、母から見ると当時の吉田は素行が悪かったらしく、厳しく指導してくれそうなカトリック系の全寮制男子校への進学を薦めたという。
高校では体育の授業があったが、周りが山に囲まれていたため授業中に生徒たちが木々を切って開墾し、その道を走ってた。
そのため体育のあとは疲れからスプーンを持つ手が震え、給食のスープすらまともに飲めなかったという。[出典4]
また、中学3年生の時に好きになった女子と文通をしていたという。[出典5]
高校時代は成績があまりよくなかった
吉田鋼太郎は高校時代あまり成績がよくなかったが、将来テレビ局やマスコミ関係の仕事に就きたいと思っていたそう。
そのため「とにかく進学しなければ」と思い、推薦で上智大学へ進学。
当時から劇作家・シェークスピアが好きだったため英文学科を専攻したかったが、学力が足りずドイツ文学科を専攻している。[出典3]
芸能活動
吉田鋼太郎は大学時代、英語劇サークル「シェイクスピア研究会」に参加。
参加当時はうまく演技ができず、照明係などを経て同サークルの『十二夜』で初舞台を踏んだ。[出典3][出典6]
その後、大学を中退し「劇団四季」や劇団「シェイクスピア・シアター」、「東京壱組」を経て1997年に劇団「AUN」を旗揚げした。
同劇団では主宰と共に出演や演出も手がけている。[出典3][出典6]
シェイクスピア劇やギリシャ悲劇などの古典演劇で評価を受け、演出家の故・蜷川幸雄が手がける舞台にも多く出演した。
舞台出演と並行して映像作品にも多く出演。2013年放送のドラマ『半沢直樹』(TBS)では、主人公の上司役として出演し、大きな注目を集めた。[出典6]
また、同年放送のドラマ『カラマーゾフの兄弟』(フジテレビ)では、市原隼人、斎藤工、林遣都演じる息子たちの父を演じた。[出典7]
翌年放送の連続テレビ小説『花子とアン』(NHK)では、九州の石炭王・伝助を演じ、知名度を上げている。[出典6]
1959年1月14日生まれ、東京都出身の俳優。主に舞台役者として活躍。シェークスピア・シアター、東京壱組を経て1997年に劇団『AUN』を結成。1998年『ベニスの商人』のシャイロック役で第6回読売演劇大賞優秀男優賞、2001年『リチャード二世』『ハムレット』の2作で紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞。主な出演作は、NHK『麒麟がくる』、テレビ東京『おっさんずラブ1.2』、東海テレビ『おい、ハンサム』など他多数。趣味・特技は、大阪弁。
出典:タレントデータバンク