どんな人?
- 増田寛也は元岩手県知事、元総務大臣。現在は野村総合研究所顧問であり、東京大学公共政策大学院の客員教授も務める。
- 東京大学法学部を卒業。その後は建設省(現・国土交通省)に入省し、官僚職を務める。
- 2013年、「全国市町村の約半数の自治体」が消滅する可能性があることを発表。翌年に出版した新書『地方消滅 東京一極集中が招く人口急減』が話題に。
- 2011年5月に立ち上げられた「日本創成会議」で、増田寛也は座長を務めている。
- 2016年7月に東京都知事選に出馬。知名度の壁は高く、落選。小池百合子が当確した。
増田寛也の生い立ち
増田寛也は1951年12月20日生まれ、東京都の出身。そのため現在の年齢は73歳である。
元建設省官僚、元岩手県知事、元総務大臣などの肩書きある人物。
現在は東京大学公共政策大学院の客員教授であり、野村総合研究所の顧問を務めている。(2017年12月時点)[出典1][出典2]
▼増田寛也
増田寛也の学歴は?
増田寛也は東京都世田谷区立の九品仏小学校、および尾山台中学校の出身。
世田谷区立中学校を卒業した増田寛也は、3年後の1970年、東京都立戸山高等学校を卒業した。
1977年3月には東京大学の法学部を卒業。同年4月に建設省(現・国土交通省)に入省した。[出典2][出典3]
建設省で官僚職を責任
1977年に建設省に入省した増田寛也は、1994年12月にこれを退職している。
建設省時代には、
- 1982年3月 千葉県警察本部交通部交通指導課長
- 1986年4月 茨城県企画部鉄道交通課長
- 1993年7月 建設省河川局河川総務課企画官
- 1994年7月 建設省建設経済局建設業課紛争調整官
といった官僚職を勤め上げた。[出典2]
▼建設省(現・国土交通省)で責任ある立場に
増田寛也の政治活動
岩手県知事時代の政策は?
増田寛也は1995年4月に岩手県知事に就任。1999年4月に再選、2003年4月には三選し、2007年4月までの12年間におよび岩手県知事を務めている。[出典2][出典4]
増田寛也は「改革派の知事」として認知されていた人物である。
しかし、彼の在任した12年間のうちに岩手県の県債は7029億円から1兆3922円と、およそ2倍に増やしてしまっている。
その理由として「地方税の収入によって経済が立ち行かない」ことと、「社会保障の関係費など、義務的経費の増加」を挙げつつ、最大の要因は……
公共事業を大分景気対策ということで行ったわけでございます。この公共事業を随分量的に拡大をして実施をしました。[出典5]
と説明している。[出典5]
総務大臣時代の活動は?
2007年8月、第一次安倍改造内閣にて総務大臣と内閣府特命担当大臣に抜擢される。
その後、2008年9月にこれらを退任している。[出典2]