2022年2月3日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 柄本明(えもとあきら)は、日本で活躍する俳優。東京都中央区銀座(旧・木挽町)出身の1948年11月3日生まれ。ノックアウト所属。
- 歌舞伎座の裏に生家があり、家族が映画や演劇好きだったことから俳優を志すようになる。
- シリアスからコメディまで幅広い演技をこなす。
- 代表作として、ドラマ『戦力外捜査官』(日本テレビ)、『監察医 朝顔』(フジテレビ)、映画『セーラー服と機関銃』、『Shall We ダンス?』などがある。
- 映画『空がこんなに青いわけがない』では映画監督も務めた。
▼柄本明(左)
生い立ち
柄本明は、東京都出身の1948年11月3日生まれ。現在年齢は71歳。身長175cm。ノックアウト所属。[出典1]
東京都中央区にある聖路加国際病院で誕生した柄本は、歌舞伎座の裏にある家で子供時代を過ごした。映画が好きだった両親の影響で、柄本も子供の頃から頻繁に映画館を出入りしていた。
高校卒業後には商社に務めた。しかし、子供時代から映画で見てきた役者の仕事に憧れを抱いていた柄本は、サラリーマンとして働く傍らで小さな劇団に所属した。
その後、早稲田小劇場のアトリエ公演を見た柄本は衝撃を受けた。これをきっかけに会社を辞め、役者として生きていくことを決意する。[出典2]
芸能活動
劇団東京乾電池での活動
自由劇場で親睦を深めた柄本明、綾田俊樹、ベンガルの3人によって、1976年に劇団東京乾電池を結成。座長は現在まで柄本が一貫して務めている。
後に高田純次や岩松了、後に柄本の妻となる角替和枝など、数々の名優が加入。現在は70名を超える座員で公演やイベントを行っている。[出典3]
1980年から1982年にかけて放送された伝説的バラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)のコントコーナーでは、柄本たち乾電池メンバーのコミカルな演技が話題を呼び、一躍人気になった。[出典4]
志村けんとのコント
](https://talent-dictionary.com/志村けん)が初共演。これをきっかけに、
柄本明は、『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ)や『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ)といった志村けんのコント番組の常連としても知られている。
志村けんとの初共演は、1987年に放送されたバラエティ番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS)だった。2人はこれまで面識がなく、志村けんからのいきなりのオファーに柄本は驚愕したという。
戸惑いながらもオファーを承諾すると、渡された台本には設定しか書かれていなかった。コントはほぼアドリブで、柄本がこれまでやってきた演技とは似て非なるものだった。当時のことについて、柄本は「地獄だった」と語っている。
後に、志村けんが柄本をオファーした理由について語った。「(柄本が)笑いとかするには凄い得な顔」「だから僕思うんですよ。ちょっと欲しいな、この顔って」と、顔の印象だけでオファーしたことが明かされている。[出典5]
出演作品(映画・ドラマ)
1981年 映画『セーラー服と機関銃』
1991年 ドラマ『太平記』(NHK)
1992年 映画『シコふんじゃった。』
1996年 映画『Shall We ダンス?』
1997年 映画『うなぎ』
1998年 映画『カンゾー先生』
2003年 映画『座頭市』
2006年 ドラマ『功名が辻』(NHK)
2009年 ドラマ『坂の上の雲』(NHK)
2010年 映画『悪人』
2011年 ドラマ『妖怪人間ベム』(日本テレビ)
2013年 ドラマ『とんび』(TBS)
2014年 ドラマ『戦力外捜査官』(日本テレビ)
2018年 ドラマ『グッド・ドクター』(フジテレビ)
2019年 ドラマ『監察医 朝顔』(フジテレビ)
人物
- 妻・角替和枝が生前の頃は、お互いを「えもっちゃん」「和枝ちゃん」と呼び合っていた。[出典2]
- 妻・角替和枝が生前の頃は、夫婦で英会話を趣味としていた。近所で飲み屋を営むイギリス人の元英会話教師に教えてもらっていた。[出典2]
- 妻・角替和枝が生前の頃は、2人で喫茶店に行くことを習慣としており、公演で地方や海外に滞在するときも欠かさなかった。長いときで3時間も話し込むことがあった。[出典2]
- 妻・角替和枝の没後は、色々なことを思い出してしまうため、近所の喫茶店にはなかなか行けないとのこと。[出典6]
- 映画『空がこんなに青いわけがない』では映画監督を務めたが、あまりのプレッシャーで試写中に失神して救急車で運ばれた。後日、柄本は「(映画監督は)もう二度とやりません」と語っている。[出典7]
- 歌手・高田渡の大ファンとしても知られる。高田渡のトリビュート盤にも参加している。[出典8]
- 志村けんと共演する際には芸者のコントをすることでも知られているが、母方の祖父は芸者の世話をする仕事をしていた。[出典9]
- 妻・角替和枝が亡くなった後、実妹と同居している。同居は実妹の提案で、妻を亡くして気を落としている柄本を気にかけていたという。[出典10]
- 子供が生まれたばかりの柄本は今でいうイクメンで、おむつを替えてあげたり、ミルクを作って飲ませたりした。妻・角替和枝が仕事の時は、掃除や洗濯、弁当作りもこなした。[出典11]
- 地方に行くと昔ながらの映画館を探す。特に、神戸の元町映画館の近辺に行った時にはよく映画を見に行っている。[出典12]
結婚・家族
1981年、女優の角替和枝と結婚。結婚前から2人は同棲しており、角替和枝の住むアパートに柄本が転がり込んでいた。
1986年に長男の柄本佑、1989年には次男の柄本時生が誕生。佑・時生以外にも上に長女が生まれており、長女は映画製作関係の仕事をしている。
2012年には柄本佑と女優・安藤サクラが結婚。これにより、安藤サクラが柄本明の義娘となった。安藤サクラが主演を務めた映画『0.5ミリ』では、柄本明、角替和枝と共演を果たしている。[出典2]
2018年10月27日、妻・角替和枝が原発不明がんで死去。柄本は「とにかく残念」「不条理な感じは否めません」とコメントした。[出典6]
公式SNS・ブログ
2019年11月現在、柄本明は公式SNSやブログを運営していない。
しかし、出演作品や共演者などの公式SNSには度々登場している為、要チェック!
1948年11月3日生まれ、東京都出身の俳優。1976年劇団東京乾電池を結成。座長を務める。1998年『カンゾー先生』にて第22回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。以降、映画賞をさまざま受賞。映画のみならず、舞台やテレビドラマにも多数出演し、2011年には紫綬褒章を受章した。2015年には第41回放送文化基金賞 番組部門『演技賞』受賞。2019年には旭日小綬章を受章。
出典:タレントデータバンク