どんな人?
- 浜崎貴司はミュージシャン・俳優。1988年にフライングキッズバンドを結成し、翌年シングル「幸せであるように」でデビューを果たした。同バンド解散までにアルバム13枚・シングル19枚をリリースしている。
- ソロ活動も行っており、ソロデビュー15周年には様々なミュージシャンとのコラボレーションアルバム『ガチダチ』をリリースし大きな話題となった。
- YEEL FROM NIPPONのプロジェクトリーダーとして、30数名のタレントや俳優が参加したシングル「友情のエール」の作詞作曲プロデュースを手掛けた。
芸能活動
ミュージシャンとして
フライングキッズバンドでの活動
1988年にフライングキッズバンド結成。
1990年4月4日、シングル「幸せであるように」でフライングキッズデビュー。
その後、フライングキッズ解散までにアルバム13枚・シングル19枚をリリースし、たくさんの熱いライブを繰り広げ日本中を震撼させた。
1998年2月12日、渋谷公会堂にてフライングキッズ解散コンサートを行った。[出典2]
ソロ活動
フライングキッズ解散コンサートを行った同年に、ソロ活動を開始。
「ココロの底」をリリースしソロデビューと至った。
ソロとしては早くもアルバム6枚・シングル7枚をリリース済み。斉藤和義やKICK THE CANCREWのMCUとのコラボレーション、『あたしンち』(テレビ朝日系)のテーマソングをプロデュースするなど活動の幅を広げている。[出典2]
ソロデビュー15周年を迎えた2013年は、奥田民生・斉藤和義・仲井戸”CHABO”麗市ら、自身の活動から生まれたミュージシャンとの輪をまとめたコラボレーションアルバム『ガチダチ』をリリースし、大きな話題となった。[出典1]
俳優として
音楽活動だけでなく、『もしも願いが叶うなら』(TBS系)などのドラマにも出演。
独特な雰囲気で俳優としても注目を浴びている。[出典2]
YEEL FROM NIPPONプロジェクト
浜崎はYEEL FROM NIPPONのプロジェクトリーダーとして「友情のエール」の作詞作曲プロデュースを手掛けている。
同曲は石井竜也、忌野清志郎、谷原章介、大黒摩季、小泉今日子、辛島美登里、斎藤和義、佐野史郎、椎名純平、坂井真紀、白石美帆、竹中直人、MEGUMI、トータス松本ほか30数名がプロデューサー浜崎のネットワークによって1曲に介したシングル。
さらに、売り上げの一部はサッカーボールに変えられ、アフリカ・エリトリア国の子供達に届けられるという大のサッカー好きな浜崎ならではのチャリティー活動も行った。
しかし、
最初は日本代表を応援するために、ミュージシャンとして何かできることはないか、と考えていて、そんな趣旨のコンピレーションアルバムを作ろうと思っていたんですね。
4年に一度しかない大きなイベントですから、みんなで盛り上がって応援しようというシンプルな気持ちでした。
ところがあるとき、世界にはサッカーボールも買えない子供達がいることを知ったんです。
彼らは、ペットボトルをつぶしたり、布を丸めたりしてボールの様にして遊んでいる。
せっかく、CDを作るのなら売り上げの一部をサッカーボールに代えて、送ってあげようという想いがそこに生まれました。
と浜崎は最初からチャリティーのコンセプトがあったというわけではないことを明かしている。続いて、
チャリティーもお金ではなく、遊び道具であるボールを渡すんですから。
もし、自分の甥や姪が「サッカーを始めたい」と言い出したら、サッカーボールをプレゼントしてあげるでしょう。
そんな気持ちなんですよ。サッカーという世界共通のスポーツを使って、コミュニケーションするということです。
と思いを語った。
また、同じく浜崎が制作監修したアルバム『YELL(エール)』も同時発売し、木梨憲武+忌野清志郎、浜田省吾、ウルトラス、熱帯JAZZ楽団などの新曲やリミックスを含んだサッカー関連曲を収録した。[出典2]