2023年8月22日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
プロフィール
芸名 / 読み | 片岡 愛之助 / かたおか あいのすけ |
誕生日 | 3月4日 |
出身地 | 大阪府 |
身長 / 体重 / 血液型 | 172.0cm / 70.0kg / B型 |
星座 / 干支 | うお座 / 子年 |
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片岡愛之助の生い立ち
片岡愛之助は1972年3月4日生まれで、現在の年齢は52歳。大阪府堺市出身である。[出典1][出典2]
生まれたときの本名は山元寛之。堺市立三宝小学校、堺市立浜寺中学校を経て、大阪府立信太高校を卒業している。[出典2][出典3]
▼片岡愛之助は大阪・堺出身
実家は堺のプロペラ工場
片岡愛之助の実家は、堺市堺区で船のプロペラ工場を営んでいた。実家と工場は同じ敷地にあり、とても広かったそうだ。[出典2]
特に工場にある風呂は銭湯より広く、子供が泳げるほどだったという。[出典2]
自転車っ子で堺を満喫
片岡愛之助は幼い頃、自転車に乗って映画館や公園に行っていた。大泉緑地公園(堺市北区)などに遠出することもあったという。[出典2][出典4]
また、小学生の頃は「なんばん市(@ザビエル公園)」に家族と行ったり、大浜公園の夜市に行ったという。堺ライフを満喫していたようだ。[出典2]
5歳で子役オーディションに合格
片岡愛之助の実家はプロペラ工場で、外遊びをするには危険だったが、両親は「外遊びができないのはかわいそう」と考えた。[出典2]
そこで彼の両親は、息子・愛之助に松竹芸能の子役オーディションを受けさせ、合格。これは5歳のときのことである。[出典2]
NHKのドラマで子役デビュー
子役オーディションに合格した片岡愛之助は、発声や芝居の練習に打ち込んでいた。そんな彼は1979年、『欲しがりません勝つまでは』(NHK)でドラマ初出演を果たす。[出典3][出典5]
なお、当時は本名の「山元寛之」として出演していた。[出典3]
子役デビューの翌年に歌舞伎デビュー
子役デビューを果たした翌年、片岡愛之助は『与話情浮名横櫛』に丁稚三太役で出演。歌舞伎役者の道を歩み始めた。[出典3]
しかし、歌舞伎の公演期間中は学校を休む羽目になっていた片岡。次第に勉強に支障をきたしはじめ、一時は辞める話もあったという。[出典6]
ただ、片岡は「歌舞伎が好き」だった。そして父は、子供に好きなことをやらせたかった。そんな2人の考えが合い、片岡は子役を続けることになる。[出典6]
片岡千代丸を名乗る
9歳の時、片岡愛之助は十三代目片岡仁左衛門の部屋子となり、歌舞伎界入り。このとき「片岡千代丸」という名をもらっている。[出典7]
忙しかった中学時代は帰宅部
片岡愛之助は中学校に入学する前に、南海電車・諏訪ノ森駅近くに引っ越した。ちなみに、彼は現在も同地に家を構えている。[出典2]
また、中学生時代は歌舞伎の稽古や舞台で忙しく、片岡は帰宅部だった。[出典2]
19歳で片岡家の養子に
片岡愛之助は19歳のとき、二代目片岡秀太郎の養子になった。[出典2]
なお、実の母は1999年に死去。その翌年には実の父も亡くなっている。[出典2]
1981年12月、十三代目片岡仁左衛門の部屋子となり、南座『勧進帳』の太刀持で片岡千代丸を名のり初舞台。1992年1月、片岡秀太郎の養子となり、大阪・中座『勧進帳』の駿河次郎ほかで六代目として片岡愛之助を襲名。その他にもドラマ・映画などで幅広く活躍。
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