2019年9月11日更新
どんな人?
- 鈴木えみは、モデル。1985年9月13日生まれ。京都出身。スターダストプロモーション所属。
- 1999年から2004年までファッション雑誌『Seventeen』の専属モデルとして活動。同時期に同紙の専属モデルとして活動していた榮倉奈々とは現在も親交が深い。
- 女優として活動していた事もあり、映画『bird call』、ドラマ『ウォーターボーイズ2』(フジテレビ系)、ドラマ『ギャルサー』(日本テレビ系)、『有閑倶楽部』(日本テレビ系)などに出演。
- 2013年に1歳年上の一般男性と入籍。同年10月7日に第1子となる女児を出産。
- 自らが編集長を務める雑誌『s’eee』を2011年に創刊。春と秋の年2回刊行している。
▼鈴木えみ
生い立ち
鈴木えみは、京都府出身。1985年9月13日生まれ。現在39歳。スターダストプロモーション所属。[出典1]
“えみちぃ”の愛称でファンから親しまれている。[出典2]
上海で暮らした幼少期
鈴木えみは、父と母の3人家族。[出典3]
上海で生まれ小学生頃までは上海で両親と共に暮らしていたが、両親が仕事の都合で日本に戻ってからは上海の祖母に育てられた。[出典3]
上海で暮らした幼少期は年の近い従姉弟などと遊んだり、常に人が沢山居る環境で育った為、両親と離れても寂しさはなかったそう。[出典3]
その後中学校進学と共に日本へ戻り、再び両親と暮らし始める。
しかし、モデルの仕事を始める為上京したので、家族3人で暮らしたのは実質3年ほどだった。[出典3]
たまたま入ったモデルの世界
鈴木えみは、当時の友人が学校に持って来ていたファッション雑誌『Seventeen』に掲載されていたオーディションに応募したところ、合格した事からモデルデビューとなった。[出典4]
1999年に晴れて『Seventeen』の専属モデルとなった鈴木。[出典3]
しかし、当時は全くファッションに興味がなかったらしく、ポージングの仕方も分からなかったという。[出典5]
更に、鈴木は当時部活などに所属していなかった為、上下関係も分からず生意気で、モデルの仕事も遊びの延長線上にあったそう。[出典5]
それでも、当時の鈴木は金曜の授業を終えると地元京都から新幹線で東京へ向かい、土日で撮影を終えると日曜の最終新幹線で帰るという慌ただしいスケジュールを送っていた。
その後、モデルの仕事が軌道に乗った事で東京での仕事が増えた為上京。
上京後半年程は母に家事を教えてもらいながら共に生活していたそう。[出典4]
モデル活動
雑誌『Seventeen』専属モデルとして
鈴木えみは、1999年から2004年まで10代中心のティーン・カジュアルスタイルを紹介する雑誌『Seventeen』の専属モデルとして活動。
長身で子猫のような小さな顔、長い手足を持つ鈴木は、他のモデルと比較しても群を抜く存在だったが、“笑顔”が苦手で、撮影に挑む時には笑顔で映らないようにこだわっていたそう。[出典6][出典5]
雑誌『PINKY』へ移籍
2004年に雑誌『Seventeen』の専属モデルを卒業した鈴木えみは、10代後半から20代向けのファッション雑誌『PINKY』で活動を開始。[出典6]
その後2009年に同誌が休刊するまで、木下優樹菜や北川景子らと共に看板モデルを務めた。[出典6]
又、現在もファッションや美容中心の雑誌『MORE』『MAQUIA』『mini』『ar』などでモデル活動をしており、コラムニストとしても活躍している。[出典6]
編集長としても活躍
鈴木えみは、2011年10月23日に創刊された『s’eee』の編集長を務めている。