2019年9月3日更新
▼引き金は彼女への強引な取材
https://twitter.com/sponichiannex/status/906854778096861185
バイクで大事故
1994年8月、ビートたけしはスクーターで事故を起こし、右側頭部頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷、右頬骨複雑骨折の重傷を負った。
カーブを曲がりきれず、ガードレールの鉄柱に衝突。翌日のスポーツ紙は、「事故現場は血の川」と煽り文を打って1面に事故現場を掲載した。[出典17]
のちにたけしは、この事故について
「普通なら即死、よくて植物状態」[出典17]
と語っている。[出典17]
さらに、約2ヶ月の入院を経て退院後に開かれた会見では、さらに報道陣を驚かせた。重度の顔面マヒで、口元が大きく歪んでいたからだ。しかし、そこでもたけしは、
「治らなかったら、芸名を顔面マヒナスターズにします」
「(事故は)軍団がブレーキに仕掛けしたんじゃないかと思ってるんだ」[出典17]
と笑いを取った。
また、当時愛人と噂されていた細川ふみえに会いに行く道での事故だったとされている。[出典17]
▼事故で顔面マヒに
https://twitter.com/tvtokyo_plus/status/1091103676561797120
幹子氏との結婚・離婚
ビートたけしは、1980年に「ミキ&ミチ」で活動していた女性漫才師・幹子氏と結婚した(婚姻届を提出したのは83年)。[出典18]
息子と娘、2人の子供を授かり、長女の井子は1998年に歌手デビューしている。[出典9]
たけしの不倫や隠し子騒動があったが、離婚には至らず。1994年にバイク事故でたけしが負傷した時は、幹子氏がつきっきりで看病したこともあった。[出典18]
しかし、2018年3月、たけしはオフィス北野を独立し、愛人とされる18歳年下の女性と事務所・T.Nゴンを立ち上げた。これが、夫婦間の溝を深めることに……。[出典19]
そして、2019年5月に40年ほど連れ添った幹子氏との協議離婚が成立。一部のスポーツ紙は、財産分与は幹子氏の希望を受け入れ、たけしは
お金よりもパートナーとの将来と人生を選んだ[出典20]
と報じている。[出典20]
また、近年は別居状態であったそうだ。[出典19]
https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1138667309797502976
芸人としての活動
65年に大学に進学するも、大学に行かず転々とフリーター生活を送っていたビートたけしは。72年にストリップ劇場「浅草フランス座」で働くようになった。
そこで、座長である深見千三郎に弟子入りをしたところから、芸能の道を歩むことになる。[出典9]
師匠である深見千三郎からの
ちゃんと修業しないと、売れてもすぐ人気なくなるぞ[出典21]
「コメディアンはかっこよくなきゃダメだ」「笑われるんじゃなくて笑わせるんだ」[出典21]