2019年8月29日更新
ジャニーズ志望から芸能界入りを目指す
児嶋一哉は中学時代アイドルに憧れていたそうで、ジャニーズ事務所に履歴書を送った経験がある。[出典6]
2018年6月公開の映画『それいけ!アンパンマン かがやけ!クルンといのちの星』の完成披露舞台挨拶の際、テレビアニメ開始から30年、劇場版30作目の節目となる作品にちなみ、自身の30年前の写真を公開。[出典5]
中学3年時の一番いい写真だと力説した児嶋は、
この写真と履歴書をジャニーズに送った。(合格の)連絡が来なかったので、手違いかと思って、もう一回、この写真を送った[出典5]
とジャニーズ入りを志望していたことを明かし、会場を沸かせた。[出典5]
当時は近藤雅彦に憧れ、映画オーディションに応募したり、スカウト待ちのために地元八王子から原宿へ出掛けたりもしていたという。[出典6]
高校時代になるとお笑いコンビ「ダウンタウン」が流行り出し、学校で真似をしたりしていたという。
高校生の頃には既に芸能界入りを決めていた児嶋は、学校行事ではしゃぐ生徒達を引いた目で見ていたそうで、共学にも関わらず異性と話す事もなく、学校をさぼる事が増えたそう。[出典6]
渡部建との出会い
児嶋一哉は高校2年時に、後に相方となる渡部建と出会っているが、その出会いは最悪だったという。[出典6]
体育の授業が終わって、渡部が横で着替えてたんですよ。その日は『少年ジャンプ』の発売日で、渡部がジャンプ買ってたみたいなんですけど、「俺のジャンプねぇな。あれ? 知らない?」みたいな話してて。そしたら、パッと俺の顔を見て、「お前ジャンプ取ったろ」って。「取ってねーよ」。これが最初の会話なんです。[出典6]
爽やかで賑やかしタイプな人気者だった渡部とは遊ぶような仲ではなかったという。[出典6]
ヒロミへの弟子入り志願
芸能界入りを決めていた児嶋一哉は高校3年時、人伝にヒロミへの弟子入りを志願したという。
ヒロミとは実家同士が近く、親同士が知り合いであり、ヒロミの妹が同級生だったということもあり、高校卒業後ヒロミの収録現場に会いに行き、話をする機会を作ってもらった。[出典6]
ヒロミ本人からは弟子入りを断られたが、彼の当時のマネージャーから「事務所で始まるお笑い養成所に行ってみたらどうだ」と言われ、現所属事務所の養成所「スクールJCA」の第一期生となった。[出典6]
唯一の補欠候補だったJCA
高校を卒業したばかりの児嶋一哉は人と目を合わさず声も小さかった為、事務所からは「ちょっとやばい奴」だと思われていたという。[出典6]
当時の養成所の入学金は60万円であり、入学金が払えるということだけで補欠合格となった。
しかし、受験した7人中児嶋以外は合格しており、唯一の補欠合格となっている。[出典6]
「アンジャッシュ」結成へ
児嶋一哉がJCAに通い始めて1年経った頃、渡部建もJCAに入学することとなる。[出典6]
2年制だった同事務所で渡辺は2期生となるはずだったが、実は1期生時代からこっそりと通っていたそうで、社長に対しても渡辺とコンビを組む事は話していたそう。
又、早い段階で事務所所属扱いになった為、渡辺は養成所に殆ど金を払わないまま事務所に入っているらしい。[出典6]
こうして1993年、児嶋一哉は渡部建とお笑いコンビ「アンジャッシュ」を結成した。[出典6]
▼お笑いコンビ「アンジャッシュ」結成
1972年7月16日生まれ、東京都出身のお笑い芸人。お笑いコンビ「アンジャッシュ」のメンバーでボケを担当。1993年、高校の同級生である渡部建とコンビを結成。日本プロ麻雀協会第3期プロ試験に合格した、プロの麻雀士でもある。2007年、フジテレビ『THEわれめDEポン』で優勝。数多くのバラエティー番組やドラマなどで活躍している。
出典:タレントデータバンク