2022年2月4日更新

出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 内田有紀(うちだゆき)は、日本で活動する役者・モデル・タレント。東京都出身の1975年11月16日生まれ。バーニングプロダクション所属。
- 中学生の頃からモデル活動を開始し、1992年放送のドラマ『その時、ハートは盗まれた』(フジテレビ)で役者デビューした。
- 1993年開催の「ユニチカ水着キャンペーンモデル」に選ばれ、露出が増加。「フジテレビビジュアルクィーン」に選ばれた1994年には、同局のドラマに多数出演している。
- 同年には、「TENCAを取ろう!・内田の野望」で歌手デビューし、ボーイッシュなビジュアルの新人アイドルスターとして一世を風靡した。
- 2002年芸能界から引退し、その後役者・吉岡秀隆と結婚。しかし3年後に吉岡と離婚し、2006年から芸能活動を復帰させている。
▼内田有紀
生い立ち
内田有紀は、東京都出身の1975年11月16日生まれ。現在年齢は47歳。バーニングプロダクション所属。[出典1]
学生時代はスポーツ少女だった
内田有紀は学生時代、フェンシング部に所属していた。
競技人口が少ないため、すぐに大会に出られるのではと思い入部したそうだが、高校時代は東京都3位という成績を残している。[出典2]
また、スポーツ少女だったため筋肉質な身体をしていたそう。
当時は体育教師になることを夢見ており、芸能活動を開始してからもその夢を抱き続けていた。[出典3]
芸能活動
内田有紀は、中学時代からモデルとして活動を開始。
1992年放送のドラマ『その時、ハートは盗まれた』(フジテレビ)で役者デビューした。
1993年には、「ユニチカ水着キャンペーンモデル」に選出され、芸能活動に専念するため藤村女子高校を中退している。
同年放送のドラマ『ひとつ屋根の下』(フジテレビ)に出演後、「フジテレビビジュアルクィーン」に選ばれ、翌年は同局放送のドラマ『時をかける少女(1994)』『17才』『半熟卵』で主演を務めた。
また、ドラマ『半熟卵』(フジテレビ)では主題歌『TENCAを取ろう!・内田の野望』も歌唱し、歌手デビューも果たしている。[出典4][出典5]
同曲は、女性ソロアーティストデビュー曲として史上初のオリコン初登場1位を獲得。[出典6]
当時の内田は茶髪のショートカットと小麦色の肌が特徴で、ボーイッシュな佇まいが魅力のアイドルとして一世を風靡した。[出典5][出典6]
1995年公開の映画『花より男子(1995年版)』では、ヒロインの牧野つくし役で映画初出演。
2000年には演技を基礎から学び直すため、劇作家・演出家のつかこうへいが率いる「北区つかこうへい劇団」に入団した。
2002年には、人気シリーズの最終作であるドラマ『北の国から2002・遺言』(フジテレビ)に出演。
同年12月の結婚を機に芸能界から引退したが、2005年に離婚し、翌年放送のドラマ『誰よりもママを愛す』(TBS)で復帰した。
また、翌年公開の映画『クワイエットルームにようこそ』では主演を務め、同年には計3本の映画に出演している。[出典4][出典5]
復帰以降はブレイク時のアイドル路線から外れ、様々な作品で役者として活躍。
2016年放送のドラマ『ナオミとカナコ』(フジテレビ)では、広末涼子とW主演を務め話題を集めた。[出典6]
人物
- 体育教師になる夢を持っていたため、芸能活動は「一人暮らしもしたかったためアルバイトのような感覚だった」と語っている。[出典3]
- 周りの友人から助けてもらったことも多く、友情を大切にしている。
- 大人になってからも仲のいい友人は、中学・高校時代の同級生が多い。
- 自分の考えを押し付けてくる人が苦手。[出典7]
- デビュー当時は、自分の実力と人気が伴っていないと感じており、申し訳ないと思っていた。[出典8]
- 人気絶頂だった頃に周りから求められるイメージと自分の内面に差を感じ、大きな葛藤を抱いていた。[出典9]
- 仕事場ではカップヌードルを食べている。
- 外食が続いた際は、リセット野菜としてキャベツや白菜を生で食べている。
- 若い頃は運動のためにジムへ通っていたが、閉鎖空間での運動が苦手でやめてしまった。
- 運動のため、電動自転車に乗って自宅から横浜まで片道4時間かけて出かけることがある。[出典10]
結婚・離婚
ドラマで共演した役者と結婚
内田有紀は、2002年放送のドラマ『北の国から2002・遺言』(フジテレビ)で共演した吉岡秀隆と2002年12月に結婚。[出典5]
2人はドラマのロケ地だった北海道富良野市内のホテルで挙式し、富良野市役所に婚姻届を提出した。
しかし、2005年12月に離婚している。[出典11]
離婚後は、役者・柏原崇との交際報道がなされているが、再婚はしていない。[出典13]
出演
テレビ番組
- 軍師官兵衛 (NHK)
- ナオミとカナコ (フジテレビ)
- 偽装の夫婦 (日本テレビ)
- サキ (フジテレビ)
- 医龍 Team Medical Dragon2
- ドクターX~外科医・大門未知子~(4期)
- ドクターX〜外科医・大門未知子〜
- 氷の世界
- ドクターX~外科医・大門未知子~(3期)
- ダブルス〜二人の刑事
- 最後から二番目の恋
- はぶらし女友だち
- バンビ~ノ!
- 続・最後から二番目の恋
- その時、ハートは盗まれた
- 半熟卵
- 北の国から2002・遺言
- 誰よりもママを愛す
- 涙をふいて
- 甘い生活。
- ドクターX〜外科医・大門未知子~(5期)
- 17才-at seventeen-
- イノセント・ラヴ
- 時をかける少女(1994)
- キャンパス・ノート
- 翼をください
- ビッグウイング
- 荒神
- ドクターX~外科医・大門未知子~(第5シリーズ)
- じゃじゃ馬ならし
- まんぷく
- ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第6シリーズ
- ディア・ペイシェント〜絆のカルテ〜
- 華麗なる一族(2021年)
- ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第7シリーズ
- 世にも奇妙な物語 冬の特別編(1994年)
CM
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映画
出典
- 『内田有紀』(バーニングプロダクション)
- 『スポーツ系から意外なものまで!芸能人の学生時代の部活11選「福士蒼汰:ダブルダッチ部」「内田有紀:フェンシング部」』(マイナビ 学生の窓口)
- 『内田有紀、将来の夢は“体育の有紀先生”だった』(デイリースポーツ online)
- 『内田有紀』(映画.com)
- 『内田有紀 - 略歴・フィルモグラフィー』(KINENOTE)
- 『来年には主演も決定、ボーイッシュから大人の女優へ 内田有紀再び脚光のワケ』(ORICON NEWS)
- 『内田有紀 苦手なタイプは「自分の考えを押しつける人」』(週刊女性PRIME)
- 『内田有紀、人気絶頂時は“一番苦しい時期” 「逃げてしまいたいかも…」と感じた苦悩の日々』(クランクイン!)
- 『内田有紀、期待されるイメージに葛藤した過去 憧れ続けた悪女役に45年の人生をぶつける』(クランクイン!)
- 『お金かからない内田有紀に「安くてこの仕上がり!」』(Narinari.com)
- 『田中邦衛さんが絶句…心を痛めた吉岡秀隆と内田有紀の“『北の国』から離婚”』(日刊サイゾー)
- 『田中邦衛さんが絶句…心を痛めた吉岡秀隆と内田有紀の“『北の国』から離婚”』(日刊サイゾー)
- 『噂の彼氏はあのタブー俳優?「四十路」内田有紀の“腕組み”中目黒デートを目撃!』(アサ芸プラス)
1993年度ユニチカ水着キャンペーンガールでデビュー。翌年、フジテレビ『時をかける少女』で初主演を果たす。健康的なイメージとショートカットのボーイッシュなスタイルで大ブレイク。同年同じく主演を務めたドラマ『半熟卵』の主題歌『TENCAを取ろう~内田の野望~』で歌手デビューを果たし、大ヒットを記録。1995年には『花より男子』の牧野つくし役でスクリーンデビュー。2000年に、演技を一から学ぶため、「北区つかこうへい劇団」に入団。2002年に芸能活動を一旦休止し、2006年にTBS『誰よりもママを愛す』で田村正和の長女役として女優復帰を果たす。
出典:タレントデータバンク