2018年5月4日更新
どんな人?
大野智の生い立ち
大野智の誕生日、年齢、身長、血液型は?
1980年11月26日生まれの大野智の年齢は、現在40歳。[出典1]
出身は東京都。身長は公称で166cm。血液型はA型。[出典1][出典2]
アイドルグループ・ 嵐のリーダーを務める(2017年6月時点)。[出典1]
やんちゃな少年だった!?
大野智は幼少期、父、母、姉、そして自身の4人家族で暮らしていた。[出典3]
2014年放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で語ったところによると、当時の大野智はかなり奔放な子供時代を過ごしていたようだ。
例えば夕食時、料理の並んだテーブルの上で逆立ちをし、そのまま転倒。料理はダメになり、親から3000円を渡されると共に
『出てけ!』と言われた[出典4]
そうだ。[出典4]
病院好き!?
またある時は、父親が運転する自転車の後ろで寝てしまい、車輪に足を挟まれ「15針を縫った」という大野智。
これを皮切りに、フタを開けた状態の缶切りのギザギザを触ってしまったり、友達が投げた黒板消しが自分のおでこに直撃し、流血。
さらには、体育館で朝礼を行っている最中に貧血になり「直立したまま倒れる」など、大野本人が覚えているだけでも4度、同じ病院にお世話になっているとのこと。[出典4]
アートに覚醒
小学生の頃、大野智は人気アニメの『ドラゴンボール』(フジテレビ系)の絵を描くことが趣味だったという。
大野の絵好きはジャニーズ事務所に入ってからも続き、イラストレーターになることを理由に退所を申し出たこともあったのだそう。[出典5]
大野智のジャニーズ事務所入所時期は?
そんな大野智がジャニーズ事務所入りを果たしたのは1994年のこと。
応募は母親が行っていたそうで、当初は大野自身も
「受かるわけがない」[出典6]
と思って会場へ向かったという。そうしたモチベーションから、会場の窓から母親に手を振った大野智。結果、ジャニー社長から叱られてしまったそうだ。[出典6]
嵐でデビューする前に参加したCDとは?
大野智は嵐としてデビューする前、1度CDデビューを果たしている。
その作品が、ジャニーズ事務所内のメンバーによる期間限定ユニット・「Junichi&JJr(ジュンイチ アンド ジャニーズジュニア)」のデビュー作『0点チャンピオン』。
1995年にリリースされた同作はアニメ『忍たま乱太郎』(NHK教育テレビ)のエンディング曲に使用された。
ちなみに、作詞は秋元康が担当しているほか、生田斗真や滝沢秀明といった面々も参加しているとのこと。[出典7]
京都に住んでいた!
大野智はデビューする前、京都に居を構えながら東山紀之の出演する舞台に参加していたという。
東山紀之本人から直々に指名されて舞台に立っていたという大野だが、その公演は朝10時から夜9〜10時にまで及んでいたそうで、
「当時、1日5回の公演をやるっていうのは、やっぱりすごいことだよね」[出典8]
と、のちにそのハードスケジュールを振り返っている。[出典8]
大野智の芸能活動
嵐を辞めたかった!?
大野智は1999年、嵐のメンバーとしてデビューを果たした。
デビュー曲は「A・RA・SHI」。メンバーは大野、櫻井翔、相葉雅紀松本潤、二宮和也の5人である。[出典9]
なお、大野智は当初、嵐を「バレーボールワールドカップだけのユニット」だと思い込んでいたそうで、
「とにかく辞めたかった」[出典6]
とかつての心境を振り返っている。[出典6]
ソロ歌手としても作品を発表
嵐として活動するかたわら、大野智はソロでも楽曲を発表している。
パターンとしては、嵐名義のアルバムの中にソロ楽曲が収録されているものがあり、「Rain」(『One』収録)や「暁」(『Japonism』収録)、「Hit the floor」(『LOVE』収録)などが挙げられる。[出典10][出典11][出典12]
また、2009年には、出演ドラマ『歌のおにいさん』(テレビ朝日系)の役柄である“矢野健太 starring Satoshi Ohno”名義で、同作主題歌の「曇りのち、快晴」を発売。[出典1]
自身出演のドラマ主題歌を歌うパターンは他にも存在し、2010年には『怪物くん』(日本テレビ系)の主題歌「ユカイツーカイ怪物くん」を、怪物くん(怪物太郎)役の大野智が歌唱。のちにCDリリースもなされた。[出典13]
振付師としても活動
ジャニーズJr.に在籍していた頃から、ダンスの覚えが早いと評価されていた大野智。
そんな彼は、嵐のデビューから5年が経過した頃より振付師としての活動をスタート。
2004年に、自身のソロ曲「TOP SECRET」の振り付けを担当して以来、嵐のシングル曲『bitter sweet』や『つなぐ』など、2017年10月までにおよそ20曲の振り付けを大野が手がけている。[出典5]