2021年7月14日更新
どんな人?
- 東山紀之(ひがしやまのりゆき)は、日本で活動する俳優。神奈川県川崎市出身の1966年9月30日生まれ。ジャニーズ事務所所属。
- 渋谷スクランブル交差点で、たまたま車で通り掛かったジャニーズ事務所の元社長・ジャニー喜多川から直接スカウトされ、1979年にジャニーズ入り。
- 1982年に事務所所属のアイドルグループ「少年隊」のメンバーとなり、1985年にシングルレコード『仮面舞踏会』でデビュー。
- デビュー後には俳優としても活動を始め、大河ドラマ『琉球の風』(NHK)やドラマ『Dear ウーマン』(TBS)などに出演。2008年からはソロでの活動が多くなり、俳優業を中心に活動している。
- 2010年10月23日に、舞台共演がきっかけで約2年半交際していた女優・木村佳乃と結婚。2011年に第1子である長女、2013年に第2子である次女が誕生している。
生い立ち
東山紀之は、神奈川県川崎市出身の1966年9月30日生まれ。血液型はA型。[出典1][出典5]
現在年齢は55歳。ジャニーズ事務所所属。 [出典1]
両親の離婚を経験
東山紀之が3歳の時に両親が離婚。その後母親に育てられる。[出典3]
離婚した父方の祖父はロシア人で、東山紀之はクォーターにあたる。[出典4]
母親はその後再婚するも、後に離婚。[出典3]
母親と妹と3人で神奈川県川崎市にあるコリアンタウンで生活していた。[出典5]
東山紀之は幼少期の自分について、
僕は、かなり臆病な子どもだったと思う。[出典5]
と語っている。[出典5]
学生時代の夏の思い出は「プール」
東山紀之は、学生時代の夏休みの思い出について質問された際、「プール」だと答えている。
学生時代はプールが好きで、海パン姿のまま自転車に乗り、プールに足繫く通っていたそう。[出典6]
また友人らも同じスタイルでプールに通っていたようで、東山紀之は、
裸で自転車に乗っている人は大体友達でしたね(笑)[出典6]
とも語っている。[出典6]
芸能活動
小学校6年生の時にスカウトされる
東山紀之は、小学校6年生の時に、当時のジャニーズ事務所社長である、故・ジャニー喜多川にスカウトされた。
当時放送していた音楽番組『レッツゴーヤング』(NHK)の公開収録の観覧を終え、帰宅する際の出来事であった。
渋谷スクランブル交差点で信号待ちをしていた際、車で通りがかったジャニー喜多川の目に留まり、声をかけられたという。[出典7]
社長自らのスカウトは、数多くいるジャニーズ事務所のタレントのなかでも珍しいケースだとされている。[出典8]
その後、1979年にジャニーズ事務所に入所。
入所とともに、合宿所での生活をスタートさせた。[出典7]
当時の合宿所には、タレントの川崎麻世、田原俊彦、近藤真彦が生活。
また、のちに東山紀之とともに少年隊を結成する錦織一清、植草克秀らも入居していた。[出典9]
▼川崎麻世
アイドルグループ「少年隊」のメンバーとして活動
1982年にアイドルグループ「少年隊」が結成される。
メンバーは東山紀之、錦織一清、植草克秀の3名。
グループ結成から3年後の1985年に、シングルレコード『仮面舞踏会』でデビューした。[出典10]
東山紀之は少年隊のメンバーについて、
メンバーは、家族じゃないけど家族以上の存在であることに間違いない。特殊な関係性だと思う。[出典11]
と語っている。[出典11]
また、今後の少年隊としての活動については、
錦(錦織一清)も演出家になり、植草(克秀)も舞台をやったり、僕もこうやって仕事させてもらってる。それぞれの空間も尊重しないといけない。もうちょっとグループとしては時間が必要なのかなと思う。今じゃなくてもいいかというのはある。[出典11]
とも述べている。[出典11]
俳優として数多くの映画・ドラマに出演
東山紀之は、デビューしてすぐの1983年頃から現在まで、数多くの映画・ドラマに出演。
時代劇からコメディまで幅広いジャンルの作品に携わっている。
代表作は大河ドラマ『琉球の風』(NHK)や、ドラマ『Dear ウーマン』(TBS)など。[出典11][出典12]
特に、大河ドラマ『琉球の風』(NHK)は、ジャニーズ事務所所属のタレントとして初の大河ドラマ主演作品として話題となった。[出典11]
出演作品(映画・ドラマ)
天才シェフを演じたドラマ『ザ・シェフ』
東山紀之は、1995年に放送されたドラマ『ザ・シェフ』で主演を務めた。
本作は、原作を剣名舞、作画を加藤唯史が担当した同名漫画を実写映像化している。
自身が買収したホテルで、社長就任パーティーを主催した事業家の麗子(川島なお美)。それに反発したコックはストライキを決行するが、麗子はすでに”幻のシェフ”と呼ばれる味沢(東山紀之)を雇っていた。