といつも話していた。[出典8]
▼重責に苦しんだ日々があった
https://twitter.com/sumokyokai/status/823109935273635840
稀勢の里が重圧を克服して、大関取りをしたのは2011年、親方が亡くなった後の九州場所だった。[出典11]
稀勢の里の大関時代から優勝まで
初めての最多勝
大関昇進を果たした稀勢の里は、持ち前の馬力を生かした直線的な相撲でさらに上り詰め、苦手としていた“四つ相撲”も安定感を増していった。[出典11]
2016年には、6場所合計で69勝21敗で単独の年間最多勝を獲得。[出典13][出典14]
日本出身力士の最多勝は1998年の三代目若乃花以来ということだった。[出典15]
▼着実に実力を増していった稀勢の里
https://twitter.com/sumokyokai/status/915826972613214208
ただ、その内訳は平幕に30勝9敗、三役に18勝2敗、大関に13勝2敗、横綱に8勝8敗という成績。
力強い相撲で横綱を破る時もあるのに、なぜか平幕に負けてしまうことがあることを横綱審議会から「不思議」と評された。[出典13]
また、稀勢の里にとって初となるタイトルながら、一度も優勝がない最多勝だった。優勝なしでの最多勝は年6場所制が制定された1958年以来初めてのこと。[出典15]
▼一方で、実力が発揮できない場面も
https://twitter.com/sumokyokai/status/914810637116514305
大関・稀勢の里の初優勝
2017年1月21日、大相撲初場所の14日目、稀勢の里は初優勝を飾った。
同日、逸ノ城を寄り切り初場所を1敗で乗り切った稀勢の里に対して、横綱白鵬翔が3敗目を喫し、稀勢の里が優勝した。
実に2002年の春場所の初土俵から89場所目での初優勝となった。[出典16]
新入幕から所用73場所での制覇は史上2番目の遅さ。新大関から所用31場所の初優勝は昭和以来ではもっとも遅かったという。[出典17]
▼苦渋を乗り越えてついに勝ち取った!
https://twitter.com/tokyoseijibu/status/905672087431372803
稀勢の里の横綱昇進
横綱昇進決定!
稀勢の里の横綱昇進が決定したのは、2017年1月23日だった。同日に横綱審議委員会が全会一致で稀勢の里を横綱に推薦した。
これにより稀勢の里は第72代横綱に昇進。日本出身の横綱としては、1998年の三代目若乃花以来、19年ぶりだった。[出典18]
▼横綱に昇進!
https://twitter.com/sumokyokai/status/822734233508532224
横綱審議委員会の内規では横綱昇進の条件を「大関で2場所連続優勝」、または、「それに準ずる好成績」と定めている。