どんな人?
▼稀勢の里寛
稀勢の里
— 先割れスプーン (@no11to) 2013年11月21日
四股名 稀勢の里 寛
本名萩原 寛
最も横綱に近い日本人力士。7月場所で綱獲りを期待されていたが7日目に3敗してしまい綱獲りは完全消滅してしまった。しかし14日目には白鵬を寄り倒して連勝記録を43でストップさせた。 pic.twitter.com/CKiNmSPP18
稀勢の里の生い立ち
出身地を巡り波乱?
稀勢の里寛は、1986年7月3日、兵庫県芦屋市で生まれ、幼い頃に茨城県龍ケ崎市に越した。[出典1]
中学2年生の時、牛久市に転居。稀勢の里の出身地を巡り、牛久市・龍ケ崎市が争いを繰り広げた。なお、日本相撲協会には牛久市出身と登録された。[出典2][出典3]
▼龍ケ崎市のTwitter
https://twitter.com/ryugasaki_city/status/822970770083041280
野球少年だった!?稀勢の里の幼少期
稀勢の里は幼稚園の時、水泳を習い始め、小学校3年生の時から野球を始める。
中学3年生の時には身長183㎝、体重は90キロ以上あった。野球部ではエースで4番を任され、県内の強豪校からのスカウトもあった。[出典4]
プロ野球選手の大崎雄太朗が所属していたリトルシニアに稀勢の里が体験入団に来たことがある。
体格の良さからか、なぜか相撲大会が始まり、大崎雄太朗を始めとして、「全員投げ飛ばされた」という。その後、稀勢の里が訪れることはなかった。[出典5]
https://twitter.com/fujitv_heros/status/841484975195095041
稀勢の里の角界入り
15歳で鳴戸部屋に入門
稀勢の里が角界入りしたのは2002年。当時、中学3年生で15歳の時だった。[出典6][出典7]
稀勢の里が選んだのは、旧鳴戸部屋。“稽古量が多い”というのがその理由。体格に恵まれた稀勢の里を見て親方が卒業後、部屋に来るようにスカウトした。[出典8]
▼15歳で角界入り!
https://twitter.com/sumokyokai/status/616801416674308096
稀勢の里も、角界入りの際に迷いがなかったわけではない。鳴戸親方が稀勢の里の中学を訪れた際、担任教師は猛反対した。一方で校長は、
君はやっぱり力士になった方がいい。親方もそう言っているんだから、そうした方がいいのではないか[出典8]
と語り、角界入りに話がまとまっていった。[出典8]
▼迷いながらも決断
鳴戸部屋に入門してから
鳴戸部屋に入門した稀勢の里だが、親方が相撲をとらせてみると“ただのわんぱく相撲”だった。