2024年1月31日更新
どんな人?
大野智の生い立ち
大野智の誕生日、年齢、身長、血液型は?
1980年11月26日生まれの大野智の年齢は、現在43歳。[出典1]
出身は東京都。身長は公称で166cm。血液型はA型。[出典1][出典2]
アイドルグループ・ 嵐のリーダーを務める(2017年6月時点)。[出典1]
やんちゃな少年だった!?
大野智は幼少期、父、母、姉、そして自身の4人家族で暮らしていた。[出典3]
2014年放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で語ったところによると、当時の大野智はかなり奔放な子供時代を過ごしていたようだ。
例えば夕食時、料理の並んだテーブルの上で逆立ちをし、そのまま転倒。料理はダメになり、親から3000円を渡されると共に
『出てけ!』と言われた[出典4]
そうだ。[出典4]
病院好き!?
またある時は、父親が運転する自転車の後ろで寝てしまい、車輪に足を挟まれ「15針を縫った」という大野智。
これを皮切りに、フタを開けた状態の缶切りのギザギザを触ってしまったり、友達が投げた黒板消しが自分のおでこに直撃し、流血。
さらには、体育館で朝礼を行っている最中に貧血になり「直立したまま倒れる」など、大野本人が覚えているだけでも4度、同じ病院にお世話になっているとのこと。[出典4]
アートに覚醒
小学生の頃、大野智は人気アニメの『ドラゴンボール』(フジテレビ系)の絵を描くことが趣味だったという。
大野の絵好きは事務所に入ってからも続き、イラストレーターになることを理由に退所を申し出たこともあったのだそう。[出典5]
大野智の事務所入所時期は?
そんな大野智が事務所入りを果たしたのは1994年のこと。
応募は母親が行っていたそうで、当初は大野自身も
「受かるわけがない」[出典6]
と思って会場へ向かったという。そうしたモチベーションから、会場の窓から母親に手を振った大野智。結果、社長から叱られてしまったそうだ。[出典6]
嵐でデビューする前に参加したCDとは?
大野智は嵐としてデビューする前、1度CDデビューを果たしている。
その作品が、事務所内のメンバーによる期間限定ユニット・「Junichi&JJr(ジュンイチ アンド ジャニーズジュニア)」のデビュー作『0点チャンピオン』。
1995年にリリースされた同作はアニメ『忍たま乱太郎』(NHK教育テレビ)のエンディング曲に使用された。
ちなみに、作詞は秋元康が担当しているほか、生田斗真や滝沢秀明といった面々も参加しているとのこと。[出典7]
京都に住んでいた!
大野智はデビューする前、京都に居を構えながら東山紀之の出演する舞台に参加していたという。