2024年3月1日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 清野菜名(せいのなな)は、日本の役者。愛知県出身の1994年10月14日生まれ。トップコート所属。
- 2007年に友人が持ってきたオーディション用紙がきっかけで、ティーン向けファッション誌『ピチレモン』のオーディションに参加。グランプリに選ばれ、モデルとして芸能界デビューを果たした。
- 身長が高いわけでもなかったため、「このままモデルとしてやっていくのは難しい」と考え、2011年に役者業へ進出。
- 2011年放送のドラマ『桜蘭高校ホスト部』(TBS)で役者デビューを果たした。2014年公開の映画『TOKYO TRIBE』では大きな注目を浴び、「第3回ジャパンアクションアワードベストアクション女優賞」「第36回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞」を受賞している。
- 私生活では、2015年のドラマで共演以降、5年間交際を続けていた役者の生田斗真と2020年6月1日に結婚している。
▼清野菜名
生い立ち
清野菜名は、愛知県出身の1994年10月14日生まれ。現在年齢は、30歳。身長160cm。トップコート所属。[出典1]
姉と弟がいる。[出典15]
幼少期からスポーツ少女だった
物心がついた頃から運動が好きだったという清野菜名。
常に男子と一緒にドッジボールを楽しむような活発な女の子だったそう。[出典2]
中学時代はバスケ部に所属していたが、その運動能力を陸上部の顧問に見込まれ、陸上選手としても活躍。
走り高跳びの大会では見事好成績を収め、全国大会に出場している。[出典3]
運動神経の良さは母親譲り
清野菜名の運動神経の良さは、全日本クラスの元バレー選手だった母親譲りだそう。
母親は、とにかく足が速いらしい。
清野が中学生の頃、母親とケンカして全力で走って逃げたのに、すぐに追いつかれてしまったという。[出典4]
高校進学と同時に上京
清野菜名は、高校進学と同時に上京。
スポーツ推薦で高校に入学するという話もあったというが、芸能界を目指し、東京の芸能系の高校に進学した。[出典4]
反抗期は、人に言えないくらい激しかったそう。上京してやっと親のありがたさに気付き、その後は母親とも良好な関係を築いている。[出典16]
ストレス発散のために始めたアクション
高校の3年間、アクション部に所属していた清野菜名。[出典2]
アクションを始めたのは、運動不足によるストレスを解消したかったからだそう。[出典5]
映画『バイオハザード』のミラ・ジョボビッチのアクションに感化され、高校2年の1年間は、坂口拓のアクション養成所で本格的なレッスンを受けた。[出典6]
芸能活動
モデルとして芸能界デビュー
清野菜名が芸能活動を始めたのは、小学6年生の時にティーン向けファッション雑誌『ピチレモン』のオーディションに応募したのがきっかけ。
当時、学校の休み時間にオーディションごっこをするのが流行っており、遊びの延長で雑誌『ピチレモン』のオーディションに応募したという。[出典2]
2007年に行われた「第15回ピチモオーディション」で、グランプリ・ペンティーズ賞を受賞し、2011年までの約4年間、雑誌『ピチレモン』の専属モデルとして活動した。[出典7]
挫折続きで悩む日々
清野菜名が、モデルから女優に転向したのは、身長がそれほど高くなく、「モデルを長く続けるのは難しいだろう」と判断したからだそう。[出典2]
1994年10月14日生まれ、愛知県出身の女優。第65回ブルーリボン賞 助演女優賞、第35回日刊スポーツ映画大賞 助演女優賞等を受賞。主な出演作は、朝日放送『日曜の夜ぐらいは…』、映画『耳をすませば』『異動辞令は音楽隊!』『ある男』『キングダム 』シリーズ、ブランドミューズ『資生堂「SHISEIDO BEAUTY WELLNESS」』など他多数。
出典:タレントデータバンク