2019年7月24日更新
人呼んで「ジャックナイフ」
兄・千原せいじに誘われ、15歳でお笑いの世界に入った千原ジュニア。
当時、大阪を活動拠点にしていたふたり。
いわく、かつての大阪は今以上に活気に溢れていて、流血沙汰がザラに起きていた街だったという。[出典4]
千原ジュニアは、そんな流血沙汰に巻き込まれた者のひとり。街中で大乱闘が起きた際には、顔面を殴られて血を流すこともあったとか。
そんな日々を過ごしていたせいか、ジュニアはいつのまにか「ジャックナイフ」とあだ名されることに。[出典4]
▼流血沙汰に巻き込まれていた!?
尖った性格が災い(?) し変わった呼び名のついたジュニアだが、その頃はお笑い芸人同士で毎週のようにネタを披露しあい、腕を競っていた時分。
ジュニアは、「ジャックナイフ」という呼び名について、以下のように分析している。[出典5]
「誰が一番オモロいんか決めようや!」みたいな。そんなときの根拠なき自信が、そういうイメージとして現われたんでしょうね。[出典5]
▼競争意識に燃えていた
ミナミの繁華街で板尾創路と……
15歳〜23歳の頃、大阪のミナミで暮らしていた千原ジュニア。当時はお笑い芸人・板尾創路と行動を共にすることが多かったという。[出典6]
▼板尾創路
https://twitter.com/itao_itsuji/status/943419095336095744
当時のジュニアについて、
ひとを笑わすというよりも、ケンカ売るために生きてるんちゃうかってくらい妙な殺気をまとっていたんです[出典6]
と振り返った板尾創路。千原ジュニアは、「芸人らしくない」男だったため、
なにをそんなに怒ることがあるのかってくらい、睨んでばかりでしたし、後輩しばくし、吉本入った目的がようわからんかった[出典6]
と、とにかく血気盛んなタイプだったという。
ちなみに、その頃はジュニアだけでなく板尾創路も尖っていた時代。2人は睨みを効かせながら、ミナミの繁華街をともに徘徊していたそうだ。[出典6]
▼この2人にガン飛ばされるのは怖い……
https://twitter.com/owarai_natalie/status/768176018221731840
そんな大阪時代のイメージから、「ジャックナイフ」と呼ばれていた時期のある千原ジュニアだが、実は京都府福知山市の出身。
もちろん兄の千原せいじも同じく福知山市出身である。[出典7]
千原ジュニアと千原せいじは、1989年にお笑いコンビ・千原兄弟を結成。
1974年生まれ、京都府出身のお笑い芸人。実の兄、千原せいじと1989年にお笑いコンビ「千原兄弟」を結成。主な出演作は、フジテレビ『トレース~科捜研の男~』、関西テレビ『新・ミナミの帝王』、著書『大J林』など、数々の人気番組に出演している。
出典:タレントデータバンク