2019年7月24日更新
▼『これにて、便所は宇宙である』出版!
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千原ジュニアとバイク事故
2001年3月26日、バイクに乗って帰路を急いでいた千原ジュニア。
大阪から東京に進出してから2〜3年の月日が経過し、若く将来を嘱望され活躍が待たれていたときに、その事故は起きた。[出典13]
道をゆくジュニアの前にあらわれたのは1台のタクシー。
これと衝突しそうになったジュニアは、バイクを傷つけたくないとの思いから車体を倒すことを躊躇し、ハンドルを切ってタクシーを避けると、そのままガードレールに向かって猛スピードで突っ込んでしまったという。[出典14]
▼ガードレールに猛スピードで……
ガードレールに突っ込む瞬間のことを覚えているという千原ジュニアは、
あー![出典14]
と思ったそうだが、すぐに意識を失う。次に気がつくと、路上が血の海になっていたそうだ。[出典14]
千原ジュニアは立ち上がろうとしたが、身動きをとることができずに気を失ってしまい、ふと目覚めたときにはすでに手術台の上に横たわっていたという。
こうして開始された手術は成功したものの、生死の境を彷徨い、変わり果てた自分の顔を見た千原ジュニアは[出典15]
これでは、もう表には出れないな[出典13]
と、放送作家への転身を考えたという。[出典13]
▼放送作家の道を考えた
しかし兄の千原せいじは、医師からジュニアの命の無事を聞かされた瞬間に、
神様が『お前らはお笑い界に必要やから』とジュニアを残してくれた[出典15]
と感じたそうで、「千原兄弟」が売れっ子になることを確信したという。[出典15]
その後、ICU(集中治療室)から一般病棟に移ると、千原ジュニアのもとには大勢の仲間が駆けつけた。彼らに励まされた千原ジュニアは、表舞台へカムバックすべく、形成手術に踏み切った。
結果、骨の代わりとなるチタンを顔に埋め込み、長い闘病生活を経て現場に復帰することとなった。[出典13][出典15]
▼千原せいじは売れっ子の未来を確信!?
後遺症の手術を受ける
バイク事故により眼底骨折などの重症を追った千原ジュニアは復帰を果たしたものの、涙腺が詰まる「鼻涙管閉塞症」という後遺症に悩まされる。[出典16][出典17]
1974年生まれ、京都府出身のお笑い芸人。実の兄、千原せいじと1989年にお笑いコンビ「千原兄弟」を結成。主な出演作は、フジテレビ『トレース~科捜研の男~』、関西テレビ『新・ミナミの帝王』、著書『大J林』など、数々の人気番組に出演している。
出典:タレントデータバンク