2022年1月18日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 坂口健太郎(さかぐちけんたろう)は、日本で活動する役者。東京都出身の1991年7月11日生まれ。トライストーン・エンタテイメント所属。
- 2010年にファッション誌『MEN’S NON-NO』のオーディションに合格し、専属モデルとして芸能界入り。
- 2014年公開の映画『シャンティ デイズ 365日、幸せな呼吸』で役者デビューを果たし、2015年放送のドラマ『コウノドリ』(TBS)でドラマ初出演。
- 2016年公開の映画『64 ロクヨン』では、「第40回日本アカデミー賞」新人俳優賞を受賞している。
- 塩顔男子の代表格。
▼坂口健太郎
生い立ち
坂口健太郎は、東京都出身の1991年7月11日生まれ。現在年齢は33歳。身長183cm。トライストーン・エンタテイメント所属。[出典1]
父は他界。母とはハグを
坂口健太郎は父と仲がよく、自分のことはなんでも話し、父もたくさんの話しをしてくれたという。
また、一緒に買い物へ行くことも多く、背丈も似ていたため洋服の貸し借りもしていたそう。[出典2]
しかし、そんな父が他界。
以降、元々仲が良かった母だったが、「これから母をハグしてくれる人はいないのだ」と思い、会う度に坂口がハグするようにしているという。[出典3]
元役者の母から受けた影響
坂口健太郎の母は、元々小さな劇団に所属していた役者だった。
芸能活動を勧められたりはしなかったそうだが、読書好きの母から「この本の登場人物があなたに似ている」とよく言われていたそう。
自分に似ている登場人物が出て来る本は、それが自分であると思いながら読んでいたそうで、後々演技することに影響していたかもしれないという。
また、こうして自分であると想像しながら本を読んでいたおかげで、演じることを身近に感じていた。[出典4]
幼少期は“クレヨンしんちゃん”みたいな子だった
坂口健太郎は幼い頃、悪目立ちがしたいタイプだったそう。
幼稚園でのお遊戯会では、主人公ではなく悪役ポジションの役をやりたがったという。
また、徒競走で1位ゴールを果たしたにも関わらず、そのまま走り続けて先生に捕まえられたりもしている。[出典4]
学生時代は何部に所属?
坂口健太郎は昔から身長が高かったため、中学校へ入学した際に担任教師から「絶対にバレー部に入れ」と言われたそう。
他の部活を検討する隙すら与えてもらえず、バレー部顧問でもあった担任の強い勧めで気付けばバレー部に所属。
しかしスパルタな練習が続き、高校では別の部活へ所属しようと考えていたが、結局引き続きバレー部に所属している。[出典4]
芸能活動
モデルとして芸能界デビュー!
坂口健太郎は2010年、オーディションを経てメンズファッション雑誌『MEN’S NON-NO』の専属モデルとして芸能界デビュー。[出典5]
当時は、アパレルショップでアルバイトをしながら学校へ通う大学1年生だった。[出典6]
デビュー1年目は特に目立つ部分はなく、モデルの仕事が多いわけでもなかったという。
しかし、2年目から雑誌読者である関係者の間で話題に。2012年9月には、モデル・役者の菊池亜希子が編集長を務める『マッシュ vol.2』に登場している。
その後、「塩顔男子」ブームの波が到来し、坂口もその波の中に。次第に雑誌で自身の名前の付いた企画が掲載されたりし始めている。
1991年7月11日生まれ、東京都出身の俳優・モデル。主な出演作は雑誌『MEN'S NON-NO』、NHK『おかえりモネ』、TBS『婚姻届に判を捺しただけですが』、関西テレビ『シグナル 長期未解決事件捜査班』、日本テレビ『イノセンス 冤罪弁護士』『35歳の少女』、映画『仮面病棟』、CM『SUZUKI「Lapin」』など他多数。
出典:タレントデータバンク