2022年2月3日更新
人と一緒にいるのが苦手な幼少期を送ったという石田ゆり子は、一人で読書をしたり絵を描いたりして、”一人でいることを満喫出来る子供”だったそうだ。
また、学校で大人しい子をからかういじめっ子たちを見た時には、
『なんてこの人たちはレベルが低いんだろう』[出典6]
と思うなど、子供ながらに大人っぽい一面があったという。[出典6]
▼大人びた子供だった
昔はバリバリの水泳選手
石田ゆり子は、9歳からの7年間、水泳と共にある生活を送っていたという。
水泳では、平均にして一日あたり1万メートル(10キロメートル)をただひたすら泳いでいたそうだ。[出典6]
▼猛特訓!
その成果もあって、石田は水泳を始めて1年も経たないうちにジュニアオリンピックへの出場を達成した。
ただその一方で、過酷な練習内容に辛さを感じることも。
特に中学生に上がってからは、家族で住むことになった台湾のナショラルチームに所属することに。
そこでのトレーニングがとにかくきつかったそうで、石田は妹の石田ひかりと共に、
つらいね、休みたいね。でも今日休んだら、明日もっとつらくなる。やっぱり今日行くしかないんだよね[出典6]
と話し合っていたそうだ。[出典6]
▼水泳の選手だった!?
両親が厳格!
水泳をしていた期間中、一貫して「水泳選手になりたいとは思わなかった」という石田ゆり子。
しかし、石田家の両親は水泳を辞めることを許さなかったそう。[出典6]
石田ひかりいわく、たとえ熱で学校は休んでも、水泳には行くように促す両親だったという。[出典6][出典7]
このように、厳しい両親のもとでスイミング生活を送った石田ゆり子だが、結果的に水泳は、人生における多くの学びに繋がったそうだ。
いい仲間といいコーチに巡り会えたし、今の自分の基盤はすべて水泳でできていると言っても過言ではありません。[出典6]
今でも、〝あの過酷な日々を乗り越えたんだから、この先どんなつらいことも乗り越えられるはず〞っていう自信はあるし(笑)[出典6]
▼石田ひかりもタジタジ?
1988年、NHK『海の群星』でデビュー。同年、映画『悲しい色やねん』でスクリーンデビューを果たす。2006年、映画『北の零年』で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。実力派女優として数々のテレビドラマ、映画などで活躍する。主な出演作品は、フジテレビ『佐賀のがばいばあちゃん2』『魔女裁判』『今週、妻が浮気します』、NHK『外事警察』、映画『解夏』『おとうと』『サヨナライツカ』『誰も守ってくれない』他多数。
出典:タレントデータバンク