2022年2月4日更新
ジミー大西を中尾明慶、明石家さんまを小出恵介が演じている。[出典1]
フェイクストーリーだと思うぐらいの出来事のようだが、さんまが同作の企画プロデュースを担当しているだけに、
全部本当の話で間違いありません。[出典1]
とジミー大西は明かしている。[出典1]
▼ジミー大西役・中尾明慶
https://twitter.com/Sankei_news/status/922401006096228352
画家として
絵の才能が開花
ジミー大西は人気芸人に成り上がったが、その数年後、自分の力不足を不安に思い引退を考えていた時期があったという。[出典1]
しかし1992年、テレビ番組のオークション企画で初めて自作の絵画を出品。
独特な絵のタッチに画家・岡本太郎からも評価を得て、個展開催やデザイナー活動を行っていた。[出典2]
▼画家・岡本太郎
https://twitter.com/taro_kinenkan/status/759912090085711876
画家に転向
ジミー大西は再び岡本太郎に自身の作品を見せようと考えていたが、その前に彼は亡くなってしまった。[出典10]
しかし、岡本太郎の養女からある言葉をかけられた。
『太郎さんはあなたの作品を見て笑っていた。がんばって絵を描けば』[出典10]
この言葉を聞いたジミー大西は画家になることを決意。1996年3月に芸能界を引退した。[出典2][出典10]
功績
画家ジミー大西の活動を年代毎にご紹介しよう。[出典2][出典11]
1996年
スペイン・バルセロナに美術留学
1999年
・ブラジル・パラ州から文化功労賞を受賞
・大阪府ふるさと切手をデザイン
2003年
自身の作品がボージョレ・ヌーボーのラベルに
2005年
ガスタンクに総面積4000㎡ほどの世界最大級の絵を描く
ジミー大西のエピソード
元高校球児
ジミー大西は高校時代に野球をしていたが、監督やコーチからのサインを覚えることができず、あまり試合に出ることはなかったようだ。[出典12]
車の免許を取るのに半年
明石家さんまの運転手になろうと、教習所に通い始めたジミー大西。しかし通常二週間のところを、筆記テストに合格できず結局半年も時間を費やしたようだ。
また免許を取った後の話だが、料金所でお金を払おうとしたジミーはなんと指を骨折してしまった。どうやら車窓を開け忘れた挙句、勢いよく手をぶつけたらしい。[出典13]
結婚
1964年生まれ、大阪府出身の画家。以前はお笑い芸人として活躍していたが、毎日放送『世界ウルルン滞在記』などのテレビ番組に出演した際、絵画作品が抽象画家などの専門家によって高く評価される。1993年に初めて個展を開催し、動物などをテーマとしたシュールな画風と鮮やかな色彩感覚で画家として注目され、脚光を浴びた。1996年、尊敬する上岡龍太郎に、自身の絵画を褒められたことなどから画家として生きていく事を決意し、お笑い芸人から画家へ転身した。主な代表作は、画集『まっ白 -ジミー大西画集-』、絵本『ホームランド』、絵本『トーテンくんのオーケストラ』などがある。
出典:タレントデータバンク