2024年1月31日更新
どんな人?
- 神木隆之介(かみきりゅうのすけ)は、日本で活動する役者。埼玉県出身の1993年5月19日生まれ。Co-LaVo所属。
- 母が事務所に応募したことをきっかけに、1995年にCM出演し芸能界デビュー。1999年放送のドラマ『グッドニュース』(TBS)に出演し、子役としての活動を本格化させた。
- 人気子役として複数の作品に出演し、2005年公開の映画『妖怪大戦争』で主演を務め、「日本アカデミー賞」新人俳優賞を受賞している。
- 映画『桐島、部活やめるってよ』や『るろうに剣心』など様々な作品に出演し、実力派役者としての演技を披露している。
- アニメ映画『千と千尋の神隠し』や『君の名は。』など、複数の劇場アニメ作品に声優として出演している。
プロフィール
生年月日 | 1993年5月19日(31歳) |
身長 / 体重 / 血液型 | 167cm / 47kg / B型 |
出身地 | 埼玉県 |
最終学歴 | 堀越高等学校TORAITコース |
デビュー年 | 1995年 |
所属事務所 | Co-LaVo |
▼神木隆之介
生い立ち
神木隆之介は、埼玉県出身の1993年5月19日生まれ。現在年齢は31歳。慎重168cm。Co-LaVo所属。[出典1][出典2]
生死の境を彷徨った新生児時代
神木隆之介は、生後間もない頃から4ヶ月間危篤状態が続いていた。病気の原因が分からない状態で集中治療室におり、体重がどんどん減り続けていたという。
4ヶ月後ようやく目を覚ました神木であったが、母は医師から「助かる確率はかなり低く、助かったとしても障害が残るかもしれない」と告げられたそう。
その後、体調が少しでも悪くなれば病院に駆け込む日々が続いた。病弱な幼少時代を過ごした神木だったが、体調は徐々に回復していき、小学校5年生になる頃には体育が得意になっていたという。
自身が生死を彷徨うような体調であった事は覚えていなかったそう。
しかし、小学校6年生の時に母が過去つけていた日記を読み、大変さを実感した神木は、
もしかしたら死んでいたかもしれなかった。2回目の人生のようなもの。だから、感謝したいなぁって思います、何事にも。[出典3]
と思ったという。[出典3]
母の存在
神木隆之介は、芸能界で活躍するようになってからも守っている神木家の家訓がある。
神木家の家訓は母が作ったものであり、「かわいい人でいなさい」「真逆の意見でも一度は受け入れなさい」「実ほど頭を垂れる稲穂かな」の3つ。
「かわいい人でいなさい」という家訓は、素直に謝ったり、嬉しいなどの感情を相手にすぐに伝えられる人のことであり、これは芸能界でも役立っているという。[出典4]
また、大人になってからも母とは非常に仲が良く、喫茶店で待ち合わせをして2時間近く話し込むこともあるそう。
さらに、話終わった後は母と共に洋服を買いに行くという。私服のセンスがないという神木のため、母が洋服を見立ててくれるそう。[出典5]
学生時代はモテに貪欲だった
神木隆之介は2歳の時に芸能活動を開始しており、小学校にはほとんど通学できなかったそう。
卒業式の時、同級生たちが学校生活の行事について語る中、「そんなことがあったのか」と思うほど色々なことに参加できなかったというが、気にしたことはないそう。
中学2年生の時はモテ期だったそうで、バレンタインデーにはたくさんの義理チョコをもらい、1週間で10人から告白されている。
高校時代には、学級委員長に立候補するなど活発な学校生活を送っていたが、中学時代とは一変してモテなくなった。
そのため、「女心の勉強になるはず」と少女漫画を読んだりしていたという。[出典3][出典6]
芸能活動
芸能界入りは母の勧め
神木隆之介は、1995年におもちゃのCMで芸能界デビュー。
芸能界入りは母の判断であり、病弱で助かる確率が低いと言われていた息子の「生きた証を残すため」だった。
また、現場は子供だからという理由で優しくなるような事はなく、母から「現場に入ったら皆がプロ」と言われていた。