2022年2月4日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 黒木瞳(くろきひとみ)は、日本で活動する女優。福岡県八女市出身の1960年10月5日生まれ。ポエムカンパニーリミテッド所属。
- 高校時代は演劇部に所属しており、部長を務めていた。高校卒業後は音楽大学への進学が決まっていたが、記念として宝塚音楽学校を受験し、合格。
- 1981年に宝塚歌劇団へ成績3位で入団。娘役として活躍し、入団2年目で月組トップの娘役に就任。大地真央の相手役を務めている。
- 宝塚入団中の1982年に、映画『南十字星』に出演。1985年9月1日に退団すると、芸能界で役者として活動し始め、1997年公開の映画『失楽園』で大きな話題を集める。
- 1990年に電通社員の一般男性と結婚。1998年には女児が誕生している。
▼黒木瞳
生い立ち
黒木瞳は、福岡県八女市出身の1960年10月5日生まれ。[出典3][出典4]
現在年齢は64歳。ポエムカンパニーリミテッド所属。[出典2]
高校時代は演劇部に所属
高校時代は演劇部に所属しており、部長を務めていた。[出典5]
初舞台は、久留米市民会館。
高校演劇の全国大会には進めなかったものの、九州大会までは進出したという。[出典6]
音楽大学に進学予定だった
高校卒業後は音楽大学への進学が決まっていたが、記念として宝塚音楽学校を受験し、合格。
宝塚音楽学校の受験は、両親に内緒で臨んだという。
そのため、受験費用は当時付き合っていた相手から借りている。
また、当時の黒木瞳は方言である筑後弁のイントネーションが強く、さらには受験科目であるバレエも受験直前の1週間習っただけだった。
そんな状況であるにも関わらず、難関を潜り抜け合格した黒木瞳は、1979年に宝塚音楽学校に入学。
その後、1981年に宝塚歌劇団に入団する。[出典5]
芸能活動
トップスターとして活躍した宝塚歌劇団時代
黒木瞳は宝塚歌劇団に、39人中3位とトップクラスの成績で入団。[出典7]
入団後は娘役として活躍した。
入団1年目に、当時男役トップスターだった女優の大地真央に指名され、相手役に抜擢。
入団2年目には、史上最速で娘役トップスターとなる。
速すぎるトップスター就任に、劇団内のみならずファンからも厳しい目が向けられたが、1982年から1985年までその役割を全うした。
大地真央は当時、黒木瞳に慰めの言葉だけではなく、他の人が10年かかることを今やらねばならないと厳しい声もかけたという。[出典8]
また、宝塚歌劇団入団中の1982年には、同年公開の映画『南十字星』にゲスト出演し、スクリーンデビューも果たしている。[出典9]
▼大地真央
宝塚歌劇団退団後、役者として活動
81年宝塚歌劇団に入団。娘役トップスターとして活躍後、85年退団。86年、映画『化身』(監督:東陽一)で女優デビュー。この作品で第10回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。その後、多数の映画作品に出演する。97年に上映された映画『失楽園』(監督:森田芳光)が話題を呼び、第21回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞ほか多数の賞を受賞。その他、映画における代表作に、『阿修羅のごとく』『東京タワー』『怪談』『ウタヒメ 彼女たちのスモーク・オン・ザ・ウォーター』。また2016年6月公開の『嫌な女』で初監督を務める。また、テレビ作品では、『ママさんバレーでつかまえて』『同窓会~ラブ・アゲイン症候群』『下流の宴』『推定有罪』などがある。その他、舞台・CMにも多数出演。代表作に、舞台『ハムレット』『取り立てやお春』、CM『田辺三菱製薬』など。また、書籍『母の言い訳』では日本文芸大賞エッセイ賞受賞、『私の場合』など出版も多数ある。
出典:タレントデータバンク