2019年5月8日更新

出典:タレントデータバンク
どんな人?
▼浅野忠信
浅野忠信の生い立ち
浅野忠信は1973年11月27日生まれで、神奈川県横浜市出身。[出典1]
現在の年齢は47歳。身長は179cm。[出典2]
本名は佐藤忠信。[出典1]
アメリカ人の祖父を持つクォーター
浅野忠信の母方の祖父は、第二次大戦後に進駐軍として日本にやってきたアメリカ人。
祖父はインディアン居留地近辺の出身だが、オランダ人の父とノルウェー人の母を持つ移民だそうだ。
そんな祖父の娘が浅野の母(ハーフ)なので、浅野忠信自身はクォーターとなる。[出典3]
ちなみに浅野忠信は、幼い頃は金髪のような髪色だった。そのため当時は、
自分が日本人という意識があまりなかったんです[出典4]
と話しており、幼い頃から海外志向があったという。[出典4]
▼実はクォーター
小学生時代の浅野忠信×柳沢慎吾の写真が公開
浅野忠信はInstagramにて、幼い浅野と俳優の柳沢慎吾が写ったツーショット写真を公開。
撮影された当時は浅野が小学生の時だったようで、今よりもずっと若い柳沢慎吾に肩を抱いてもらっている微笑ましい写真となっている。[出典5]
▼柳沢慎吾との写真が公開!
中学時代からバンドをしていた
浅野忠信は幼少期から音楽好きの家庭で育ち、その影響から中学時代からバンドをはじめていた。[出典6]
中学2年生の頃にバンドブームがきており、俳優業と同時期にバンド活動を始めたようだ。[出典7]
神奈川県立磯子高校のOB
浅野忠信は、神奈川県立磯子高校出身である。
そんな浅野は磯子高校の後輩からインタビューを受け、校内新聞に載ったこともあるのだとか。[出典8]
▼浅野忠信の地元ネタツイート
https://twitter.com/asano_tadanobu/status/94013408260784129
浅野忠信の俳優デビューは?
浅野忠信は1988年放送のドラマ『3年B組金八先生(第3シリーズ)』(TBS系)で俳優デビューを果たす。
浅野は本作で、生徒役の一人としてレギュラー出演していた。[出典1]
オーディションに出演したきっかけ
浅野忠信はオーデョションに合格し、『3年B組金八先生』(TBS系)に出演している。[出典1]
浅野忠信が同作のオーディションに参加したきっかけは、事務所の社長を務めていた父親の勧めだったようだ。
▼きっかけは父親
武田鉄矢を尊敬
浅野忠信は『3年B組金八先生』(TBS系)で共演した武田鉄矢を尊敬しているという。[出典10]
そんな2人は2017年、29年ぶりにドラマ『A LIFE〜愛しき人〜』(TBS系)で共演。武田鉄矢は、
日本のドラマ界のトップ的な存在なんだな、すごいな[出典11]
と感心したようだ。[出典11]
▼教え子・浅野忠信の活躍ぶりに武田鉄矢も感心
僕が社会と積極的に関わるきっかけになった方、#武田鉄矢 さんの69歳の誕生日です(^_^)
— 響かつゆき@4/15(日)新ラジオ番組「あん肝メガネ」配信開始!! (@HIBIKI_K1986) 2018年4月10日
おめでとうございます!
歌声や、作詞された歌詞、緻密な演技など、鉄矢さんの作る世界が大好きです。
あの濃厚なエネルギー、僕の目標です! pic.twitter.com/4w5XuK92Sd
浅野忠信の出演ドラマ・映画作品
浅野忠信は1990年の映画『バタアシ金魚』に出演し、映画初出演を飾っている。[出典1]
1973年11月27日生まれ、神奈川県出身の俳優。1990年に松岡錠司監督の『バタアシ金魚』でスクリーンデビュー。国内外の映画で活躍し、セルゲイ・ボドロフ監督『MONGOL』は第80回(2008)米アカデミー賞で外国語映画賞にノミネート、2010年には根岸吉太郎監督『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』、木村大作監督『劔岳 点の記』にて第33回日本アカデミー賞優秀主演男優賞をダブル受賞。また、熊切和嘉監督『私の男』では、第36回モスクワ国際映画祭でコンペティション部門最優秀男優賞を受賞。また、映画俳優としての顔だけではなく、自らバンドを組み音楽活動もしており近年ではSODA!として『抱きしめたい!』などのアルバムも発表している。
出典:タレントデータバンク