2016年8月15日更新
どんな人?
- 日本映画界きっての奇才として知られ、数々の作品を生み出している。→園子温の映画まとめ
- 自身の映像制作会社シオン・プロダクションを設立し、第一回作品として『ひそひそ星』を制作した。→新作『ひそひそ星』とは?
- 女優の神楽坂恵と結婚している。→妻の神楽坂恵ってどんな人?
生い立ち
「園子温」は本名
「園子温」という名前は「そのしおん」と読み、本名だ。愛知県の厳しい家庭に生まれ育ち、あまりの厳しさに耐えかねて17歳で家出したという。[出典1]
親父は地元の大学の英語の教授でした。厳しいを通り越して異常でしたね。赤いTシャツ着ているだけで「だらしない! 服は白か紺!」とか管理されて。僕は17歳で「このままだと家族や田舎の重力に押しつぶされる!」という一心で東京に飛び出した。[出典1]
奇妙な三人暮らし
家出して東京に飛び出した園子温は、その後奇妙な三人暮らしをすることとなる。
17歳の時に家出して逆ナンされたんですけど…。その女性に「私と心中するか、私の母親と3人暮らしするか?」と聞かれて、もちろん3人暮らしを選択したんですよ。[出典2]
いかにも奇才らしいエピソードだ。
芸能生活
精力的な制作活動
1985年、23歳で『俺は園子温だ!!』を撮ってぴあフィルムフェスティバルに入選して以来、園の積極的な制作活動が始まった。『自転車吐息』や『部屋 THE ROOM』などの作品を生み出し、徐々に注目を集めるようになる。[出典3]
また、30歳手前のこの時期には『地獄でなぜ悪い WHY DON’T YOU PLAY IN HELL?』や『ラブ&ピース』、『ひそひそ星』といった、のちに制作されるオリジナル映画の脚本を書き上げていた。[出典4]
「毎回逮捕されていた」
1993年、園子温は街頭パフォーマンス集団「東京ガガガ」を結成する。横断幕を掲げて「ガガガ」と叫び、隔週で渋谷や新宿をストリートジャックするという過激なパフォーマンスは、本人曰く
毎回逮捕されていた[出典5]
アメリカでホームレス生活
1999年、園子温は文化庁の新進芸術家在外研修員として国費でアメリカに留学している。[出典7]
しかし、
もう時効だと勝手に思っているんですが、実はアメリカに行けばお金が支給されるから応募しただけ。しかも大きな声では言えないですけど、通わなきゃいけないバークレー校には1度も行ってないうえ、支給されたお金をあっという間に使い果たしてしまった。サンフランシスコでホームレスになったんです[出典7]
と語るように、アメリカでホームレス生活を送る羽目になってしまった。路上生活は半年ほど続き、ビーチで似顔絵を描いて生計を立てていたそうだ。[出典7]
数々の話題作を生み出す
園子温は現在54歳。衰えることを知らない映画監督は、『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』『ヒミズ』『新宿スワン』『映画 みんな!エスパーだよ!』などの話題作を次々に生み出してきた。[出典3]→園子温の映画まとめはこちら
園監督との出会いを人生の転機と捉える俳優も多く、『ヒミズ』に出演した二階堂ふみや『TOKYO TRIBE』に出演した清野菜名はその代表だ。[出典8][出典9]
▼園子温と二階堂ふみ
私生活
女優・神楽坂恵と結婚
園子温は2011年に女優の神楽坂恵と結婚している。共通の知り合いの紹介で2009年に出会い、園は最初見たときから神楽坂のことをキレイな女性だと思っていたという。[出典10]→園子温の妻・神楽坂恵についてはこちら
プロポーズはサプライズで
映画監督らしく、園子温はプロポーズの演出には譲れないこだわりがあった。
『リトル・ロマンス』というハリウッド映画があるんです。ラストで主人公たちが、ベネチアのゴンドラの上で夕暮れの鐘が鳴るなかキスをして永遠の愛を誓う。僕はそれがやりたかったの。[出典10]
園子温が監督を務めた映画『ヒミズ』はベネチア映画祭で賞を獲得。映画祭に参加するためベネチアを訪れた園は、イメージ通りのプロポーズをサプライズで実現して神楽坂恵を喜ばせた。園は最初からベネチアに行く気満々だったようで、