その後も多くの著書を刊行!
『窓ぎわのトットちゃん』出版後も、黒柳徹子は作家としての活動を続けている。
著書『トットちゃんが出会った子どもたち』や『トットちゃんとトットちゃんたち』などでは、黒柳徹子が子供たちのために、海外を視察した様子が描かれているそうだ。[出典4]
▼トットちゃんが世界へ……
黒柳徹子の芸能活動
NHK専属のテレビ女優
絵本の読み方を教わりたい[出典7]
という理由から、黒柳徹子はNHK放送劇団への入団を志望した。面接の場では、父親に秘密で試験を受けていた理由について、
そんなみっともないことをするなと止められるにきまっている、この世界には騙す人がいるから[出典7]
と正直に暴露してしまうなど、黒柳は自然体だったという。[出典7]
▼面接でも自然体!?
そんな黒柳徹子の“無色透明”さは評価され、なんと彼女は応募者数6000人以上の中から見事合格。[出典7]
黒柳徹子は1953年から「テレビ女優第1号」としてのキャリアをスタートさせた。[出典8]
▼NHKでテレビ女優に合格!
あの「伝説的番組」の司会を務めた!
最高視聴率41.9%を記録し、一部では「テレビ界の伝説」とも言われる番組『ザ・ベストテン』(TBS系)で、黒柳徹子は司会を務めていた。
同番組で共に司会を務めていた久米宏が、
絶対に嘘をつかないでほしいというのが徹子さんの主張で、もしやらせがあったら降りますと宣言して始めたんです[出典9]
と、その司会就任の秘話を明かしている。[出典9]
▼『ザ・ベストテン』で司会を担当
しかしその結果、ランキング上位にテレビ出演NGの歌手が入ってしまい、高視聴率が望めないこともあったが、
黒柳さんとの約束だから[出典9]
東京・乃木坂生まれ。父はヴァイオリニスト、NHK交響楽団のコンサート・マスター。トモエ学園から香蘭女学校を経て、東京音楽大学声楽科を卒業しNHK放送劇団に入団。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。その後、文学座研究所やニューヨークのMERRY TARCAI演劇学校などで学び、アメリカのテレビ番組、ジョニー・カーソンの『ザ・トゥナイト・ショー』など、多くのテレビ番組に出演。また、タイム、ニューズウィーク、ニューヨークタイムス、ヘラルドトリビューン、ピープルなどに日本の代表女性として紹介される。日本で初めてのトーク番組『徹子の部屋』は、大人気の長寿番組となり、同一司会者による番組の最多放送回数記録でギネスに認定される。著作『窓ぎわのトットちゃん』は760万部のベストセラーとなり、世界35ヶ国で翻訳される。日本語版の印税で社会福祉法人トット基金を設立。プロの、ろう者の俳優の養成、演劇活動、手話教室などに力を注ぐ。ユニセフ(国際児童基金)親善大使としてアフリカ、アジアなどを訪問。メディアを通して、その現状報告と募金活動などに従事。その他、日本ペンクラブ会員、ちひろ美術館館長、東京フィルハーモニー交響楽団副理事長、日本パンダ保護協会名誉会長、WWFジャパン顧問など多方面で活動。2021年にYoutubeを開設したことも話題となっている。
出典:タレントデータバンク