コラムニスト、エッセイスト、女装タレントとしてテレビや雑誌、トークショーなどに多数出演。
歯に衣着せぬコメントで多方面から絶大な支持を受けているマツコ・デラックス[出典1]の、知られざる生い立ちに迫る!
変わった家庭で育つ
昭和1桁生まれの両親は、戦前から戦後、その後の高度成長、バブルといった激動の時代を生き抜いてきた。
そうした親のもとに育ったマツコの幼少期は少し変わっていたという。
エアコンにしても、CDプレイヤーにしても、家に入るのがよそ様よりは5年は遅れていました。
より快適に生きよう、より便利に生きよう、より豊かな暮らしをしようみたいな発想が微塵もない人たちだったので、掃除機だって、洗濯機だって、新しく買った方が安いのに、ずーっと町の電気屋さんに修理頼んで、それこそ買ったときと色が違う状態になるまで使っている人たちでした。
その中で幼少期を過ごしたわけですよ。だから時空がちょっと家だけ歪んでいたっていうか、違ったんですよね。[出典2]
冷めた子供だった
マツコは子供時代を振り返り、自身について、
何か嫌な子どもだったのは覚えているんですよ。無邪気さだったり、健気さだったり、そういった匂いは一切しない子というか、すごく冷めている子でしたね。一言で言うと。
と評している。[出典2]
また、ゲームやファミコンをしているような子らを子供扱いするような大人びた子供だったというが、話術に長けているためか、周りには優等生や不良の区別なく色々な人が寄ってきて、仲間外れにはならなかった。
しかしそうした友達と遊んでいても全く楽しめなかったマツコは不登校になった時期もあるらしい。[出典3]
同性への好意
同性愛者を自称するマツコ。
その目覚めは6歳の頃だった。
ぼんやりとした記憶なんですが、最初に男性を意識したのは、おそらく小学校1年生だった気がします。その表現方法は、同級生を廊下で突き飛ばして……。今もなんですけど、乱暴なんですよね。
今思うと、6歳とかのときから意識しているのは男性だった気がするんですよね。[出典2]
母からの手紙に涙
生まれてこの方、両親に対して自身のセクシャリティや職業・生活についてを説明したことがないというマツコだが、母親のほうはこっそりマツコの活動を見守っているようだ。
2011年に出版した中村うさぎとの対談集『愚の骨頂 続・うさぎとマツコの往復書簡』では、
最後は、『今日も5時の生放送を見ます』で締められていたわ。
女装した息子をずっと母は見ていたのよ。アタシ、思わず大笑いしちゃったわ。
そして、孤独ではない自分を再確認し号泣したわ
と記されている。[出典2]