2021年1月8日更新
アメリカンスクールに通っていた
『Automatic』でデビューする前、13歳の頃から宇多田ヒカルは都内のアメリカンスクールに通っていた。
学校の成績は常にAばかりで、バスケットやマラソンなどのスポーツでも才能を発揮していた優等生だったそうだ。
学校の文化祭では、ピアノに合わせてマライヤ・キャリーの初期のバラード『ミュージックボックス』を歌っていたという。[出典5]
コロンビア大学に飛び級で入学
その後、宇多田ヒカルは17歳の時にアメリカンスクールから飛び級でアメリカのコロンビア大学に合格する。
しかし2004年には音楽活動に専念する考えを示唆しており、同大学を休学した後に中退している。[出典6]
▼大学を中退
宇多田ヒカルの母・藤圭子
一卵性親子と呼ばれていた
宇多田ヒカルと母である藤圭子は、母親譲りの才能をヒカルが持つことから「一卵性親子」と称されていた。
また才能だけでなく境遇も似ている。
藤圭子は当時17歳の頃に、母親の熱烈な売り込みによって恩師の作詞家・石坂まさをのもとでデビューを果たす。
それと同じように、ヒカルもデビュー前に藤圭子がラジオ番組などに出演しては、猛烈に売り込みをしていた。
さらに成功後の人生も藤圭子の両親は金銭問題で対立して離婚したように、ヒカルの家庭も崩壊している。[出典7]
▼親子仲は複雑だった
#UtadaHikaru 's mini live in London (Live in the flesh 2010)
— 光林檎 (@light_apple_) 2018年3月18日
Interaction with the audience is charming ♬
SakuraDrops begins with the Hikki keyboard playing.#ThisOne (#CryingLikeAChild) #SakuraDrops#宇多田ヒカル https://t.co/A1TFq2uYTz … …https://t.co/CJfFzJEkAK … … pic.twitter.com/VeKybHatpB
心の病に
藤圭子は「心の病」を患っていたようで、宇多田ヒカルのブログで説明もされている。
そのブログによると、藤圭子の感情の起伏が激しくなったのはヒカルが5歳になった頃。
日常的に喧嘩しており、藤は夫と何度も離婚と再婚を繰り返していたという。[出典7]
実際夫婦は2007年に7度目の離婚をしており、25年の夫婦生活を完全に終えてしまった。[出典8]
▼日常的に喧嘩していた
https://twitter.com/natalie_mu/status/786571376207339520
2013年に自殺
2013年8月22日の朝、藤圭子は東京・西新宿のマンションから飛び降り、搬送先の病院で死亡。
自殺した母親について宇多田ヒカルは、