フェスにも出演!DJとしても活躍するふかわりょう
お笑い芸人として活躍する傍ら、DJとしても活躍するふかわりょう。その活躍の裏には苦労もあった...ふかわのDJとしての顔に迫る!
2022年12月6日更新
本当に好きなこと、それは音楽
大学在学中にお笑い芸人としてデビューしたふかわりょう。当時、一言ネタがヒットし「シュールの貴公子」ともてはやされていた。[出典1]
しかし自分の足で立っている気がしなかったため、お笑い芸人としての未来はないと考えていたという。[出典1]
売れながらも自分を見失っていた20代
20代の頃のふかわは「リアクション芸人」としての仕事が多く、色々なお笑い芸人と共演できたことが勉強になったと話す。[出典1]
しかし「お笑い芸人のキャリアとは、こうあるべき」という思い込みがあったゆえ、そこから外れないように生きていたとのこと。当時をこう振り返っている。
与えられた仕事に違和感を抱いても自分の気持ちにふたをしていたところもあったと思います。[出典1]
30代になり、本当にやりたいことを仕事にしようとした
30歳になった頃、ふかわは
自分が何をやりたいかをもっと大事にしてみようと思った[出典1]
という。そこで、仕事とは関係なく本当に好きなことをやってみようと始めたことが執筆活動、海外旅行、そしてクラブのDJとのこと。[出典1]
白い目で見られたDJデビュー、やがて音楽関係の仕事が舞い込むように
ふかわはDJイベントを始めた頃、「お笑い芸人なのに、なんでDJ?」と白い目で見られることも多かったと語る。[出典1]
また、DJブースにライター等が飛んできたり、観客がほとんどいない日もあったという。ふかわは当時を振り返って
それでも、僕には関係ありませんでした。好きだから、やり続けた。[出典1]
と語っている。そうしてDJを続けていると、「ふかわは『バカ』がつくくらい音楽好きなんだね」と理解を示す人が現れ始めたという。すると、ROCKETMAN名義でCDをリリースできるようになったり、音楽関係のテレビやラジオに呼ばれるようになったと語る。[出典1]
現在はフェスも開催
ここにしかないふぇす2017開催決定‼️
— ここにしかないふぇす2017【公式】 (@cocofeskamikane) 2017年10月7日
チケット絶賛販売中‼️
FM FUJI様の後援も決定‼️#開催決定 #ふかわりょう #グッバイフジヤマ #ohc #QP #erica #フェス #山梨 #ここふぇす #ここにしかないふぇす #FMFUJI pic.twitter.com/8hes4OIdvc
ROCKETMANとしての地位を築いたふかわりょうは、2010年から毎年夏にフェスを開催するようになった。[出典2]
2014年のフェスは満員のため、入場制限がかかるほどの盛況となったという。[出典2]
2016年8月には東京・恵比寿で7回目となるフェス「ROCKETMAN SUMMER FES’ 2016」を開催。DJ KOOやH ZETTRIOらと共にパフォーマンスを披露するという。[出典3]
DJとしての評価は?
ふかわりょうが「ROCKETMAN」として音楽活動を始めたのは、今から約20年前の1998年である。当初はピチカート・ファイヴのメンバー、小西康陽とのユニットであった。[出典4]
後に「ROCKETMAN」はふかわ個人の名義となり、DJ活動を本格化させることとなった。ふかわは全国のクラブでDJ活動を行う傍ら、現在5枚のアルバムをリリースしている。
また、2010年にリリースされた配信限定シングル『dancemusic』は、iTunes Storeの総合チャート1位に輝いた。
現在ふかわはDJとして高く評価されているだけでなく、クリエイターとしても高く評価されている。[出典4]