ダウンタウン・浜田雅功の実家は?貧乏だった幼少期・高校時代のエピソードまとめ
ダウンタウン・浜田雅功の幼少期から学生時代をまとめてご紹介。父親が連帯保証人になり一気に貧乏に?スパルタ高校に入学したのは「ドアをノコギリで切ったから」?など驚きのエピソード多数。
2023年1月31日更新
浜田雅功の実家・幼少期のエピソード
ダウンタウンの浜田雅功の実家エピソードをまとめてご紹介!
幼少期に貧乏だった壮絶エピソードや妹をしばいたドSエピソードなど、浜田雅功の幼少期を見てみましょう。
▼ダウンタウンの浜田雅功
浜田雅功の家族構成は?
父親は鹿児島県出身で、タレント・ヒロミの父親と同級生だった。
高校卒業後、鹿児島県から大阪府に渡りペンキ屋に勤めていたという。[出典1]
また、幼少期の松本が浜田を遊びに誘おうと家にいくと、「ぎゃー!」という叫び声が聞こえた。
出てきた浜田に理由を聞くと
妹が腹立つから濡れタオルでしばいた[出典2]
と説明されたドSエピソードもある。[出典2]
万国博覧会後から貧乏生活に
1970年、大阪で「万国博覧会」が開催される前までは
電子レンジは近所の中でもいの一番に入ったし、カラーテレビ、クーラー全部あった[出典3]
と恵まれた環境で育っていた浜田雅功。
しかし7歳頃、父親が独立し知人の借金の連帯保証人になった。
これがきっかけで、「万国博覧会」を境に浜田家の生活は180度変わりどんどん下落していったという。[出典1][出典3]
住まいは古びたマンションに引っ越すことになり、
最終的にはチキンラーメンになって[出典3]
と食生活にも変化が。
そして毎晩家に借金の取り立て屋が来ては、お金の返済を要求してきたとか。
「父親が帰ってこないなと思っていたら、返済が出来ないから監禁されていた」という驚愕エピソードもある。
さらに、引越し先のマンションはボロすぎたため階上の床が抜け、浜田家の上の階に住んでいた「韓国人のおばちゃんが落ちてきた」こともあった。[出典3]
浜田父「普通の学校に行かせたらやばい」
そんな浜田は、全寮制の高校に入学し実家を出ている。
浜田が入学したのは三重県にある日生学園第二高校(現:青山高等学校)という高校で、ストイックな生活が強いられる厳しい高校だった。
そんな厳しい高校に入学したのは、「友達の家のドアをノコギリで切った」のがきっかけ。[出典4]
父親が、
普通の学校に行かせたらやばい[出典4]