矢部浩之、40歳で100キロマラソン完走!知られざる苦悩とコンビ愛、岡村の涙の訳とは!?
ナインティナインの矢部浩之は、『27時間テレビ』の企画で40歳にして100キロマラソンを完走しました。その裏側にあった、矢部浩之の知られざる苦悩と、相方・岡村隆史の涙の理由に迫ります。
2016年7月21日更新
ナインティナインの矢部浩之は2011年、毎年恒例のフジテレビ系生放送特番『27時間テレビ』(フジテレビ系)の企画で40歳にして100キロマラソンを完走した。
この年にはナインティナインとSMAPの中居正広が司会を務め、FNS27時間テレビ『めちゃ×2デジッてるッ!笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃーん!!』と題して多くの笑いと感動を巻き起こした。
40歳にして100キロの挑戦
矢部浩之は40歳という年齢にして初めてのマラソンに挑戦した。
しかも100キロという通常のフルマラソンの2倍以上の距離である。
矢部浩之の決心の中には、ナインティナインとして長年支えあってきた相方・岡村隆史への想いがあったという。[出典1]
岡村隆史の病気休養
2010年、矢部浩之の相方・岡村隆史は体調不良により休養をし、芸能活動無期限休止か、とまで謳われていた。
お笑いという仕事に対して誰よりもストイックに向き合ってきたという岡村隆史の想いを誰よりも知っていたのが矢部浩之だったということもあり、苦悩の決断になったというが、
ご心配おかけしてすみません。体調が戻るまで少し休ませていただいて、100%元気なちっちゃいおっさんで復活しますので安心してください[出典1]
と表沙汰では明るくコメントを残していた。[出典1]
相方への知られざる想い
そんな矢部浩之だが、相方・岡村隆史の休養に対しては知られざる苦悩があったという。
元々、サッカー部の先輩・後輩の間柄だった二人だが、すでに大学に進学していた先輩・岡村隆史を後輩の矢部浩之が誘い、お笑いの世界に飛び込んだ。
コンビとして「誘った方の」責任を背負っていたという矢部浩之は、岡村隆史が精神を蝕まれた時に自分自身から休養を言い渡したのだという。
ナインティナインの人気ラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』で岡村隆史の復帰後初めてとなる放送の際には、
矢部: ホンマこっちは心を鬼にして。自分から休むっていわへんタイプやから、
岡村: いわへんよ絶対。
矢部: リスナーの皆さん、想像以上にもう糞真面目な人間なんで、岡村さんは。「絶対仕事だけは行く」と。ね。で、僕と大谷がここは線引かなあかん、心強く持って、休まそうって打ち合わせて、ちょうどそれをフジテレビで発表してんねん。スタッフの前で、岡村さんに。
岡村: あああ。うん。[出典2]
矢部: 俺の口から岡村さんに発表したんや。で、俺は座ってて、岡村さんは横に立ってんねん。もう座ってられへんから。「座ってください」って言っても、当時「いや、あかん」って(笑)。「決めました」と。「大谷ともスタッフとも決めました。言う事聞いてください。岡村さん、休みましょう」って。
岡村: 覚えてる、覚えてる。
矢部: 僕、目見て言うたんですよ。そん時の岡村さんが、考えられんよ、今やったら。僕の腕、ガアー掴んで、しがみついてさ、(変なイントネーションで)「かんべんしてくれぇ〜、相方」って(笑)。「かんべんしてくれぇ〜」って言ったの。凄い目で言うたの、それを。
岡村: あー、そう。[出典2]
矢部: 一番言われたくないことやったんやと思う。
岡村: 休むってことがやろ?
矢部: うん。俺もはっきり言ったん、初めてやったの。その時のトーンが……(笑)、
岡村: 「かんべんしてくれぇ〜」ってなんで急にキャラ変わんねん(笑)。おかしいやん。
矢部: いや、おかしいねん(笑)。でも、そん時の岡村さん、マックスやったから。
岡村: キてたんやろうな。
矢部: マックスにキてたから。[出典2]
岡村: いや、俺ホンマにあの仕事を休むって言うのは
矢部: 一番嫌なことやろ?
岡村: 自己管理ができてないし、プロ失格やと思うからどんな状態でも行かなあかんと思うたんや。
矢部: で、一番言われたくないことやったんや、たぶん。
岡村: うん。だから「なんまいだぁ〜」みたいなトーンに、
矢部: そう(笑)。だからもう最高よ(笑)。
岡村: あんま覚えてないねんなー。でも、「イヤや」っていう意思表示は絶対したと思うねん。
矢部: そう。
岡村: 休むんだけは絶対イヤやっていう意思表示は。
矢部: たぶん、いつも以上に僕、強い目で言ってると思うんですよ。[出典2]
と当時の苦悩を明かしている。[出典2]
また、「27時間テレビ」の放送の中では、100キロマラソンを走ることが決定した際の矢部浩之の心境が放送されており、相方の岡村隆史は知らされておらず、生放送中にはじめて目にしたという。
矢部が決断した時の心境をスタッフと対話している放送では、
嫌でしたね。
えーーと、絶対にスタジオにいたほうが面白いし、楽しいし、あと、、まあ……、5ヶ月近く休んだ相方がスタジオで大丈夫かっていうのも、もちろんあったり。(岡村さんには)言わないですけど。[出典3]
矢部: 当時は、、、えっと……、僕はもう覚悟はしましたね、もう(岡村が)一生戻ってこれない覚悟も僕の中でしてたんですけど。
なんで覚悟したかっていうとやっぱり……、そもそも僕が誘ったのでこの(お笑いの)世界に。
そこなんですよねぇ……。
で、「僕のせいや」って言うのは、責任はやっぱり背負ってしまいましたよね、当時は。
誘ってなければ、あの人は……分かんないですけど、、、こんなツラい思いはしてないやろなぁとは思いましたよね。[出典3]
と語っており、知られざる想いがあったことを明かした。
復帰を果たした岡村には、
こんな5ヶ月近い休みと病気を笑いにしたあの人は、やっぱスゲエなぁって。やっぱ自分にできないことをしはるんで、やっぱスゴいですね。[出典3]
と言葉を投げかけ、コンビ愛も見せている。
さらに、本番前のマラソン練習に岡村隆史が合流し、矢部浩之の後ろに付かず離れずの距離で走る岡村に対してスタッフがその時どう思ったか矢部に訊くと、
サッカー部時代に戻った感じがしますね、復帰後。
ここへ来てサッカー部時代(の関係)に近くなりましたね。
あの人の表情とか……、優しさとか。[出典3]
と相方への熱い想いを口にした。スタジオで放送を見ていた岡村隆史は涙を抑えきれない様子で、
テレビで泣いたら、、、さんまさんに怒られるんです、、、。
相方にも迷惑かけたもんですから。
あのぅ、、、なんとかこうやって戻ってきて、えーー、頑張って、笑い、作れていけたらなっと言う風に思ってます。
えーー、なんとか矢部さんにもゴールしてほしいな、と言う風に思ってます。
ごめんなさいっ![出典3]
と必死に堪えながらも、目からは涙がこぼれていた。
スタジオのメンバーもすでに涙しており、「めちゃイケ」メンバーの加藤浩次に「矢部が近くまで来てるから、迎え行って来い!」と促されると、完走間近の矢部浩之のもとへと向かった。
ゴール前からは矢部浩之に岡村隆史が並走して激励し、最後は二人でゴールテープを切って熱い抱擁をかわし、スタジオを大いに湧かせるエンディングであった。[出典3]
出典
- 『ナイナイ岡村、体調不良訴え再び休養宣言! 芸能活動無期限休止に』(ORICON STYLE)
- 2010年12月2日放送『ナインティナインのオールナイトニッポン』
- 『ナインティナイン矢部浩之の覚悟と笑顔』(BLOGOS)