『それでもボクはやってない』や『アウトレイジ』など……加瀬亮の主な映画出演歴!
フリーターからヤクザまで、多岐にわたる役柄をこなす加瀬亮の魅力に迫る!
2023年3月31日更新
2000年、石井聰互監督作『五条霊戦記』でスクリーンデビューを果たして以来、数々の作品に出演する加瀬亮。
今回はそんな彼の主な映画出演歴をご紹介!
『アンテナ』
2004年に公開された『アンテナ』は、田口ランディ原作の話題作を若き鬼才・熊切和嘉監督がメガホンを取り映画化したもの。
加瀬演じる主人公・荻原祐一郎は大学で哲学を専攻する青年で、女優・小林明実扮するS&Mの女王ナオミとの出会いを通じて「アンテナ」(=真実を感じ取る力)を獲得するまでを描いている。
劇中、ナオミに殴られるシーンに挑んでいる加瀬は撮影当時を次のように振り返っている。
僕は自分の助けにもなると思って、“殴るシーンはホントに殴ってくれてかまわないって、小林さんに伝えて”と監督に言ったら、監督がニヤニヤして、“ごめん、もう伝えてある”って。やっぱりやる気だなと(笑)
さすがにグーのところはやられてないですけど(笑)。
まぁ、でも現場ではなるべく──小林さんは実際はかわいらしい女性なんで、自分の中にそのイメージがついちゃうとやりにくいと思ったんであんまり話してないです[出典1]
『スクラップ・ヘブン』
2005年に公開された映画『スクラップ・ヘブン』では、「正義の味方」を夢見て警官になった主人公・粕谷シンゴを演じ、オダギリジョーや栗山千明と共演。
同作は復讐代行業に手を染めた青年ふたりと、密かに爆薬を作る若い女が繰り広げる騒動劇をシニカルに描く青春映画である。
主題歌はロックバンド・フジファブリックが担当した。[出典7]
『それでもボクはやってない』
2008年に公開された映画『それでもボクはやってない』では、電車の中で痴漢に間違えられたことで人生が一変してしまうフリーターの主人公・金子徹平役に抜擢された。[出典3]
加瀬は撮影を振り返り、難しかったシーンについてを次のように明かしている。
手こずったのは、一番最後のシーンですね。
判決を受けたあとに、「その表情が違う」って監督から何回も言われて、それでどんな表情をしていいか分からなくて困りました。
それ以外は監督から言われた記憶はあんまりないですね。
そこだけ、いろいろと指導をしていただいて、すごく助けてもらいました。[出典3]
『アウトレイジ』シリーズ
2010年に公開された映画『アウトレイジ』では 山王会大友組組員・石原に扮した。[出典4]
同作を監督し自らも出演する北野武は、加瀬のキャスティングについて、
英語を使うシーンが途中からいっぱいあるインテリヤクザ役があって、英語も話せる役者を探していたら加瀬くんが来た。
けど、普段の雰囲気からはどう見てもヤクザに見えないじゃない。
どうしよう、と思ってメイクさんと相談して、オールバックにして、眉毛を剃ってみたり、結構苦労した。最終的に四角くて細いサングラスをかけさせたり。
それでも『コノ野郎、バカ野郎』って怒鳴り合っている場面で、加瀬くんも入ってきて同じ台詞言っても全然怖くない。
だから、この人は無口にしよう、でも、ひとつキレたら殴り出すという風に、徹底的に暴力に寄せた。
キレたら怖い奴に設定に変えて台本を書き直して、かなり悪い奴に仕上がった。
やっぱりパッと印象に残るようになったと思うし、うまいこといったかなって思うよね[出典5]
と明かしている。
続編『アウトレイジ ビヨンド』では、若頭にまで登りつめ、その地位と権力でもって古参幹部を牛耳るように。[出典6]
加瀬は、撮影前の不安を次のように明かしている。
前作で、石原は間違って上り詰めてしまった感があったので、今回はきっと酷い目に遭うんだろうなという予感はありましたが、前回からさらにパワーアップするとしたら今回はどうしようかなという心配の方が先立ちました。
最初に台本を読んだときは、前回とはかなり違ってびっくりしましたし、面白いと思ったのですが、すぐに“どうやって自分がやればいいのか”と不安に思いました。
前回は、監督やスタッフさんが何とか自分にヤクザ役が似合うように色々と工夫をしてくださって、ああいう静かなキャラクターにしていただいたんですね。
それでも自分の中ではやっぱりヤクザを演じることには心配があって。
なのに今回はかなり直球に怒鳴ったりしていたので、これできるかな…という不安ばかりでした(笑)[出典6]
『はじまりのみち』
2013年に公開された『はじまりのみち』は日本映画史に名を残す巨匠・木下惠介の実話を、映画『陸軍』製作時のエピソードを回想形式で盛り込みながら描く、母と子の物語。[出典7]
木下監督という実在の人物を演じるにあたり、加瀬は、
最初にプロデューサーから「愛されるように主人公を演じてほしい」と言われたんです。
意図はわかるんですが、かといって好かれるように、ある一面だけを切り取るのも違うんじゃないかと。
単なる「いい人」にはしたくなかったんです。その部分は原監督と共に認識していたことだと思います。
と語っている。[出典8]