俳優・加瀬亮の父親は双日株式会社の元社長・現代表取締役会長である加瀬豊。[出典1][出典2]
今回は裕福な家庭で生まれ育った加瀬の生い立ちに迫る!
アメリカで育つ
幼少期をアメリカで過ごしたという加瀬は、当時通っていた学校の様子を次のように振り返っている。
学校のクラスは白人がほとんどで、あとはカンボジア人と中国人が一人ずついました。
自分の住んでいたエリアにはヒスパニック系の人も多かったですし、韓国系アメリカ人の友人などもいました。
そういう環境だったので、7歳で日本に帰ってきたときに、色々な人種がいないという環境の方にかなり面食らいしましたね。
馴染むのにけっこう時間がかかりました。[出典3]
英語について
映画のなかで英語を披露している加瀬は英語を勉強したきっかけについて、
中学生のときにアメリカの友達の家に遊びに行ったんですが、そのとき英語があんまりできなくて、スラスラ話せなくなってることにショックを受けたんです。
なので、それからけっこう勉強しましたね。[出典3]
と明かしている。
学歴
アメリカから帰国した加瀬は中学校卒業を経て1993年に神奈川県立松陽高等学校を卒業。
その後は中央大学商学部に進学し、演技を学び始める。
また卒業するまで4年間はボードセイリング(ウィンドサーフィン)部に所属し、夢中になっていたとか。[出典4]
デビューまで
加瀬は俳優を志した理由を次のように語っている。
映画のポスターを見せてくれた友人に『こわれゆく女』と『クーリンチェ少年殺人事件』のビデオを借りた。
「こんなインデペンデントな世界があるんだと衝撃を受けました。
それからはハリウッド以外の映画を片っ端から観ました。
邦画もいろいろ鑑賞し、作品の中で存在するたたずまいがすごくいいなと印象に残ったのが俳優の浅野忠信さんでした
浅野に憧れた加瀬はすぐに所属事務所を調べ、手紙と履歴書を送ったという。
その後面接を受け、最初の1年は浅野の付き人として働くことに。
でも、付き人を始めてすぐにこの人は参考にならないなと理解しました(笑)。
なぜなら天性のものが備わった特別な人だからです、浅野さんは。
ただ、たくさんの現場へ行かせてもらえたのはよかった。
それと演技のことだけでなく、人とのコミュニケーションでも何でも、まず自分で考えることの大切さを浅野さんから学びました
やがて加瀬は俳優としてオーディションを受けるようになり、映画『五条霊戦記 GOJOE』でスクリーンデビューを飾った。[出典5]