憑依型俳優松山ケンイチがまた見せた!映画『聖の青春』で過酷な増量
難病を患った天才棋士・村山聖の一生を描いた映画『聖の青春』が2016年11月19日公開される。主演の松山ケンイチは、役作りのため20キロ以上増量した。松山がそこまでして聖役を演じる理由とは?
2018年4月23日更新
映画『聖の青春』松山ケンイチが全身全霊で天才棋士役を熱演
主演に抜擢
【インタビュー】#松山ケンイチ 実在のプロ棋士・村山聖役「いつも“生きている”ことを感じながら歩みたい」https://t.co/b8yHzktmd4#松山ケンイチ @satoshiseishun pic.twitter.com/vDRZV09jnn
— OLIVER (@OLIVER_editors) 2016年12月2日
俳優・松山ケンイチが、役作りのため20キロ以上増量した。[出典1]
俳優や女優といった仕事は、一見華やかな仕事に感じられるが、殆どの場合、自身が演じる役のために役作りを余儀なくされるものだ。
それは性格や何かの技術だけでなく、外見の変化も求められる。
映画『聖の青春』において、村山聖(むらやまさとし)役で主演する松山は、
この役ほどスタートラインに立つ時間がかかった作品がありませんでした
と語るほど過酷な役作りに励んだ。[出典1]
『聖の青春』のさらに詳しいキャストとあらすじまとめはこちら!!
天才棋士・村山聖の一生
▼映画『聖の青春』の予告編がこちら
映画『聖の青春』は、幼い頃から腎臓の難病「ネフローゼ」を患いながらも将棋に全人生を賭け、29歳で急逝した天才棋士・村山聖の生涯を描いた作品。[出典2]
▼同作ビジュアル
https://twitter.com/satoshiseishun/status/753937221099458561
原作は、大崎善生によるノンフィクションの同名小説である。[出典2]
▼原作は現在発売中
https://twitter.com/satoshiseishun/status/761760014763560961
通称「西の怪獣」
棋士の中で「西の怪獣」と呼ばれるほど、聖はプロ棋士として名を馳せていた。[出典3]
聖と将棋の出会いは、入院中何気なく父から勧められたこと。[出典2]
将棋に心を奪われた聖は、15歳の頃に師匠に弟子入りをし、命を削りながら将棋界最高峰のタイトル「名人」を目指していく。
そしてその腕前は、同世代の天才棋士・羽生善治を追い詰められるほどになっていた。
このまま将棋を指し続けると死ぬ
と医者に忠告を受けるも、将棋に人生の全てを掛けていった聖。
しかし、聖の命のリミットは徐々に迫っていたー・・・。[出典3]
▼羽生善治役は俳優の東出昌大
思い入れある役に
負けるのは、死ぬほど悔しい。
だから、生きる時間を削ってでも勝ちたい。[出典3]
そんな考えで将棋を指し続けた聖に扮した松山は、
”村山聖”という人間の思いというか生き方に。好きになってしまったんです。
すごく長い間(役に)没頭していたような気がします。“村山聖”という人間の生き方に僕はすごく心揺さぶられたので、それをそのまま観ていただくお客さんにも伝えなきゃいけないというのはとてもプレッシャーだったんですが、本当に(役に)熱中していました
と同役に対する強い思い入れを語っている。[出典4]
驚異的な役作り
聖が患っていた「ネフローゼ」という腎臓の病気は、
腎臓の濾過機能の異常で、蛋白が尿へ排出し、血液中の蛋白濃度が減少することにより浸透圧のバランスが崩れ、水分が血管から組織へ漏れ出し、顔や手足がむくむ
という症状を伴うもの。[出典5]
そのため聖演じる松山は、ふっくらとした容姿に劇変し、同作に挑んだ。[出典6]
▼ポスターからも松山が増量したことが分かる
https://twitter.com/satoshiseishun/status/771469674999537664
過酷な肉体改造に「おいしいものもおいしく感じなくなった」という松山だが、今回の役柄については、
全身全霊をかけても足りない役[出典6]
“この人の為だったら、この人を演じられるんだったら全て捨てられる”という思いがあったから今ここに来ることができたのではないかと思います。
決して楽なものではなかったですし、苦しい部分もあったんですが、やっぱり“好き”っていう気持ちは全部超えてしまいますね。良いとこも悪いとこも超えてしまいます[出典4]
と話している。
松山は、2011年に公開された映画『GANTZ/GANTZ PERFECT ANSWER』でも、役作りのために7キロ増量したことが話題となった。[出典7]
周りの環境から演技のヒントを
松山は肉体面だけでなく、聖の生前の精神面も知るため、広島県に住む聖の両親の元と、聖の墓参りに訪れた。[出典6]
▼劇中では竹下景子が母親役に
そして、聖の師匠であった森信雄氏にも会い、大阪市福島区の前田アパート、関西将棋会館、更科食堂と、聖のゆかりの地を巡りながら、生前のエピソードをじっくり伺ったそうだ。