『君の名は。』監督の新海誠の映画作品、全部まとめてみた!
『君の名は。』で話題の新海誠、美しい景色と独特の世界観を表現する彼の映像作品を、自主制作映画時代のから全てまとめてみた。
2023年3月28日更新
▼ 『言の葉の庭』あらすじ
靴職人を志す15歳の高校生タカオは、雨が降るといつも学校をさぼって公園で靴のスケッチに熱中していた。そんなある日、彼は27歳のユキノと出会い、雨の日だけの再会を繰り返しながらお互いに少しずつ打ち解けていく。タカオは心のよりどころを失ってしまったユキノのために、彼女がもっと歩きたくなるような靴を作ろうと決心する。[出典12]
▼ 『言の葉の庭』公式サイトより引用
梅雨の季節に日本庭園で出会った、靴職人を目指す少年と歩き方を忘れた女性。彼女が少年に残したのは一篇の万葉集。本作の題材は多様で魅力的だ。独自の感性と言葉選びにより、まるで小説を読むような味わいとテーマ性を持った繊細なドラマを、アニメーションでしか為し得ない表現で紡ぎ出す。[出典10]
日本独特の感性や言の葉を、新海誠の映像美で表現している。[出典10]
君の名は。 your name.
2016年公開。新海誠は、原作・脚本・監督等を担当している。[出典13]
▼ 『君の名は。』あらすじ
1,000年に1度のすい星来訪が、1か月後に迫る日本。山々に囲まれた田舎町に住む女子高生の三葉は、町長である父の選挙運動や、家系の神社の風習などに鬱屈(うっくつ)していた。それゆえに都会への憧れを強く持っていたが、ある日彼女は自分が都会に暮らしている少年になった夢を見る。夢では東京での生活を楽しみながらも、その不思議な感覚に困惑する三葉。一方、東京在住の男子高校生・瀧も自分が田舎町に生活する少女になった夢を見る。やがて、その奇妙な夢を通じて彼らは引き合うようになっていくが……。[出典14]
▼ 着想のきっかけ
着想のきっかけはいくつかありましたが、ひとつは小野小町の有名な和歌です。
「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせばさめざらましを」
好きなあなたを夢で見た、夢だと分かっていたならば目覚めなかったものを——そういう歌です。[出典15]
『言の葉の庭』と同様に、日本的な作品からの着想だったようだ。[出典15]
▼ Twitterより
https://twitter.com/shinkai_works/status/769134882253438976
▼ 新海誠公式サイトより抜粋(新海誠からのコメント)
『君の名は。』には、僕の過去作のモチーフもたっぷりと盛りこまれています。もちろん新しい要素も多くありますが、過去作を熱心に観てくださっていた方ほど、連続性や語り直し、アップデートに気づいていただけるはずです。子供から大人まで多くの観客に楽しんでいただける映画を目指していますが、この映画を最も楽しむことができるのは、やはり皆さんです。今作でもぜひ、映画館に足を運んでいただけると嬉しいです。[出典15]
自主製作作品
彼女と彼女の猫 Their standing points
2000年公開。新海誠の自主制作。
一人暮らしの女性に拾われた猫の視点から彼女の日常生活をモノトーンでリミテッドなアニメーションで描いた、5分弱のアニメーションである。[出典16]
▼『彼女と彼女の猫』キャッチコピー
雪は全ての音を吸い込んで、
でも彼女の乗った電車の音は、
ぴんと立ち上がった僕の耳に届く。[出典16]
ほしのこえ The voices of a distant star
▼ 『ほしのこえ』キャッチコピー
私たちは、
たぶん、
宇宙と地上に引きされる恋人の、
最初の世代だ。[出典17]
▼ 『ほしのこえ』あらすじ
関東某県の中学に通う長峰美加子と寺尾昇は仲の良いふたり。しかし中学3年の夏、ミカコは国連軍の選抜メンバーに選ばれ、宇宙に飛び立つことをノボルに告げる。翌年2047年冬、ミカコは地球を後にし、ノボルは高校に進学する。
地上と宇宙に離れたミカコとノボルは携帯メールで連絡をとりあうが、艦隊が太陽系の深淵に向かうにつれて、メールの電波の往復にかかる時間は開いていく。ノボルはミカコからのメールだけを心待ちにしている自身に苛立ちつつも、日常生活を送っていく。やがて艦隊はワープを行い、ミカコとノボルの時間のズレは決定的なものへとなっていく……[出典17]
「ジェットラグ」ならぬ「スペースラグ」を題材としたこの作品は、
▼ 公式HPより引用
2001年前後というのはインターネットが急速に一般化しつつあった時代であり、コンピュータとそのソフトウェアが年々高機能化・低価格化していった時代でもあります。そういう状況を背景に「何か新しい作られ方・流通の仕方・観られ方」をするような作品を人々は無意識に求めていたのかもしれず、そして「ほしのこえ」はたまたま、パズルのピースのようにあの時代のくぼみにはまった作品の一つであったのだろうと今では思います。[出典17]